改訂新版 世界大百科事典 「ケシク」の意味・わかりやすい解説
ケシク (怯薛)
kesik
モンゴル帝国の元朝時代,君主,王族の宮廷,幕営を昼夜護衛した親衛部隊のこと。〈番士〉と訳されることもある。語義については,(1)〈恩寵〉を意味するモンゴル語kesikに〈~をもつ〉の意の語尾-teiが付き,〈恩寵を有する者〉の意味で君主に近侍する親衛隊をkesikteiと呼んだ,(2)〈順番・当班〉を意味する古代トルコ語kezigの借用,の二つの解釈がある。しかし当時の文献では怯薛(ケシク),怯薛歹(ケシクテイ)(あるいは怯薛丹(ケシクタン))の両方の形が確認され,簡単に決められない。1204年チンギス・ハーンが80人の宿衛(kebte'ül),70人の侍衛(turkha'ud),400人の箭筒士(khorchi)を設置したのがはじまり。2年後,モンゴル高原を統一すると,宿衛・箭筒士各1000人,侍衛8000人の合計1万人に拡充し,全体を4班に分け,各班の長には勲臣ボオルチュ,ムハリ,ボロクル,チラウンの4人の一族を起用して各班が3昼夜交代制で勤務し,12日間で一巡するしくみとした。ケシクに入ることができたのは,千戸・百戸・十戸の長などの遊牧集団の支配層の子弟と特別に能力を認められた平民出身者に限られた。そのため,ケシクはチンギス・ハーンの近衛軍団であるとともに,将来の遊牧貴族・高級官僚の養成機関ともなった。元朝に入っても,ケシクはほぼ同様の方法で維持されたが,非モンゴル人の有力者の子弟の参加も許され,ケシク出身者が軍事・行政の要職についたから,結果的に支配者集団への登竜門の性格を濃くした。
執筆者:杉山 正明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報