オルジョニキーゼ(英語表記)Grigorii Konstantinovich (Sergo) Ordzhonikidze

改訂新版 世界大百科事典 「オルジョニキーゼ」の意味・わかりやすい解説

オルジョニキーゼ
Grigorii Konstantinovich (Sergo) Ordzhonikidze
生没年:1886-1937

ロシアソ連邦の党活動家。グルジア出身。1903年ティフリス(現,トビリシ)でロシア社会民主党に入党ザカフカスの1905年革命に参加,逮捕され,以後流刑,脱走亡命を繰り返す。11年レーニンのロンジュモ党学校(パリ)で学び,ロシアに派遣されてプラハ協議会の開催工作を担当,12年同協議会で中央委員となる。レーニンの依拠したボリシェビキの典型的実務家。二月革命後流刑地よりペトログラード(現,サンクト・ペテルブルグ)に戻る。内戦期には赤軍の指導者として,ウクライナ,北カフカス,ザカフカスの内戦で活躍。ソ連邦形成をめぐる〈グルジア問題〉で,ロシア共産党中央委員会カフカス局の責任者としてスターリンと共に晩年のレーニンに批判される。スターリン派幹部として党・国家の要職歴任,30年最高国民経済会議議長,32年重工業人民委員として工業化政策を担当。粛清に抗議してスターリンと衝突,37年2月自殺
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「オルジョニキーゼ」の意味・わかりやすい解説

オルジョニキーゼ

ロシア,ソ連邦の政治家。ジョージア生れ。1903年ロシア社会民主党に入党。多くの革命運動に参加。二月革命後流刑地からペトログラード(現,サンクト・ペテルブルク)に戻る。内戦期は赤軍の指導者。スターリン派幹部として1930年最高国民経済会議議長,1932年重工業人民委員。しかし大粛清に抗議してスターリンと衝突,自殺。

オルジョニキーゼ

ウラディカフカス

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「オルジョニキーゼ」の意味・わかりやすい解説

オルジョニキーゼ
おるじょにきーぜ
Орджоникидзе/Ordzhonikidze

ロシア連邦南西部にある北オセチア共和国の首都ウラジカフカスのソ連時代の名称。1931年~1944年、1954~1991年に用いられた。

[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オルジョニキーゼ」の意味・わかりやすい解説

オルジョニキーゼ
Ordzhonikidze

ウクライナ中東部,ドネプロペトロフスク州都市。州都ドネプロペトロフスクの南西約 110kmにある。ニーコポリ・マンガン鉱山の採掘地。クリボイログとニーコポリを結ぶ鉄道のチェルトムルイク駅の北西約 5kmにある。人口約4万。

オルジョニキーゼ

「ウラジカフカス」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典 「オルジョニキーゼ」の解説

オルジョニキーゼ

生年月日:1886年10月28日
ソ連邦の政治家
1937年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android