オレーグ(その他表記)Oleg

改訂新版 世界大百科事典 「オレーグ」の意味・わかりやすい解説

オレーグ
Oleg
生没年:?-912

初代キエフ大公。在位882-912年。ベーシチー(予見者)と称せらる。ノルマンの出身。リューリクの死後ノブゴロド公となり,幼いイーゴリを奉じて882年キエフに下り,アスコリドとジールを謀殺して占領した。〈ルーシの町の母〉として東スラブ諸族を従え,ハザル族と戦い,また907年にはコンスタンティノープルを包囲し,911年に有利な通商条約を結んだ。伝説では蛇にかまれて死んだというが,一書によれば北へ帰ったとされ,その墓はラドガにある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オレーグ」の意味・わかりやすい解説

オレーグ
おれーぐ
Олег/Oleg
(?―912/922)

古代ロシアの公。伝説的人物リューリクからその子イーゴリを託され、ノブゴロドを統治する。882年、軍を率いて南下し、キエフ(現、キーウ)に君臨していたアスコリドとジールを討つ。この年を「古代ロシア国家」建国のときとみる学者が多い。その後ドレブリャーニン人、セベリャーニン人、ラジミチ人を征服し、ハザール人と戦い、ドナウ川方面にも進出した。911年にはコンスタンティノープルに遠征ビザンティン皇帝との間にロシアに有利な条約を結んだ。

[栗生沢猛夫]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「オレーグ」の解説

オレーグ
Oleg

?~912

最初のキエフ公。年代記によれば,リューリク親戚で,その子イーゴリを伴って南下し,882年頃キエフ公となった。東スラヴ諸族を征服しこれに貢物を課し,国土拡大を図った。907年頃コンスタンティノープルにも遠征した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のオレーグの言及

【キエフ・ロシア】より

…キエフの支配者アスコリドとジール(兄弟の公)による860年のコンスタンティノープル攻撃の遠征は,ビザンティンの人びとにも強い印象を残した。北のノブゴロドには,スラブ人の公ワジムを征して権力を握ったノルマン人の伝説的首長リューリクがいたが,その死後,遺児イーゴリを奉じた従士団の長オレーグ(在位882‐912)の軍勢が南下進攻を始め,アスコリドとジールを倒して都市国家キエフの支配者となった。これが882年のことであり,北のノブゴロドと南のキエフは,名目上は単一のリューリク朝君主の共通の支配下に入り,ここに全ロシア的なキエフ・ロシアが誕生するのである。…

【リューリク】より

…長兄リューリクはノブゴロド地方に国を建てて君臨し(862),次兄シネウスSineusはベロオーゼロに,末弟トルボールTruvorはイズボルスクに居を定めた。ノブゴロド地方では,たび重なる原住民の抵抗を排除しつつ覇権を確立したが,リューリクの死後,その子イーゴリの後見を託された軍司令官オレーグが882年,かつてキー,シチェク,ホリフなる3人の兄弟が築いたという町キエフを占拠した。政治の中心は南のドニエプル川中流域に移り,北はノブゴロド,南は〈ルーシの町の母〉なるキエフ,つまり〈ワリャーギからギリシアへの道〉という通商路上の二つの要衝をおさえ,古代ロシア国家(キエフ・ロシア)として発展した。…

【リューリク朝】より

…この招請に応じてやって来たのがリューリクを長兄とする3人の兄弟であったという。リューリクの死後その子イーゴリを擁したオレーグが882年キエフを占領し,ここにリューリク朝の基礎が築かれた。以後キエフ大公位はすべてリューリクの子孫が占めることとなった。…

※「オレーグ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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