翻訳|O. Henry
アメリカの小説家。本名をウィリアム・シドニー・ポーターWilliam Sydney Porterという。9月11日、ノース・カロライナ州グリーンズバラに医者の子として生まれたが、母が死んだり父が家業を顧みなくなったりで、15歳から叔父のドラッグストアで働き、やがて1882年知人に誘われてテキサス州に移り、さまざまな職業を転々とする。その間25歳のとき19歳の女性と結婚。そのころから文筆生活にあこがれ始め、機会を得て週刊新聞『ローリング・ストーン』を発刊するがたちまち失敗、1896年、2年前まで勤めた銀行から横領罪で告訴される。この事件の真相はついに不明だが、結局彼はホンジュラスへ逃亡、放浪ののち、妻の危篤を知って1898年帰国して自首し、5年の刑を受ける。この服役中にこれまでの体験を素材に短編小説を書き始め、オー・ヘンリーの筆名で1899年『マクレアズ』誌に第一作が出る。これが縁で、模範囚として刑期を短縮されて1901年出獄するとニューヨークに出て作家生活に入り、一躍注目を集め、1903年『ニューヨーク・ワールド』紙と1編100ドル、1週1編の契約を結んでから3年間驚異的な活躍をする。中米での見聞に基づく『キャベツと王様』Cabbages and Kings(1904)、ニューヨークの庶民生活の哀歓を描いた『四百万』The Four Million(1906)など、ユーモアとペーソスに満ちた巧妙な筋(すじ)と、意外な結末をもった、オー・ヘンリー独特の272の作品、13編の作品集を残した。過労と飲酒のため1910年6月5日、47歳で死去。
[大津栄一郎]
彼の短編小説は、生涯に移り住んだ各地を反映して、南部もの、西部もの、ラテンアメリカもの、ニューヨークものと、四つに分けられる。とくに1903年に『ニューヨーク・ワールド』紙と契約を結んでからの約3年間、日ごと夜ごとニューヨークの街を彷徨(ほうこう)しながら、驚くべき多産ぶりを発揮した。そのほとんどがニューヨークものである。脂ののりきった時期の作品ということもあるが、まだ辻(つじ)馬車や市街電車の走っていたニューヨークを舞台に、庶民や移民たちの姿が生き生きと描かれ、ユーモアとウイットをきかせた筆致のなかから一種のペーソスが漂ってくる。なかでも、当時のニューヨークの人口数を題名にした作品集『四百万』The Four Million(1906)に傑作が多い。
賢者の贈り物 The Gift of the Magi
クリスマスの前夜、貧しい妻デラは、夫ジムにクリスマスの贈り物ができないので、自慢の髪の毛を売って、夫の金時計にふさわしいプラチナの鎖を買う。ジムはその金時計を売ってデラの髪に似合う櫛(くし)を買う。そして帰宅後、2人はそれぞれ自分の贈り物の対象がなくなっているのを知って呆然(ぼうぜん)とするという夫婦愛の物語。彼の作品中有名な1編。
二十年後 After Twenty Years
20年後の再会を約束しあった親友が、1人は警官に、1人は西部から手配されている御尋(おたず)ね者になり、親友が親友を逮捕するはめになる。
警官と賛美歌 The Cop and the Anthem
冬を刑務所で過ごそうとした浮浪者が、わざと逮捕されようといろいろ試みるが、どれもうまくゆかない。あきらめた彼が、教会の賛美歌を聞き、真人間に立ち帰ろうとした瞬間に、浮浪罪で逮捕されてしまう。
以上いずれも『四百万』所収。これにはほかに『家具つきの部屋』『献立表の春』『緑のドア』などの傑作が収められている。
最後の一葉 The Last Leaf
短編集『手入れのよいランプ』The Trimmed Lamp(1907)所収。病気の娘が、向かいの壁の蔦(つた)の葉が散るのを見ながら、最後の1枚が散ったら自分も死ぬのだと信じている。ある風雨の激しい一夜のあと、葉が1枚だけ残っていたため、娘は生きる勇気を取り戻す。それは、夜、雨をついて壁に蔦の葉を描いて死んだ、芽の出なかった老移民画家の手になる絵であった。
以上のニューヨークもの以外では、『ハーグレイブズの一人二役』と、『別名ジミー・バレンタイン』として劇化されて有名になった『改心』が優れている。
[大津栄一郎]
『大久保康雄訳『O・ヘンリ短編集』全3冊(新潮文庫)』▽『多田幸藏訳『O・ヘンリー名作集』(講談社文庫)』▽『大津栄一郎訳『オー・ヘンリー傑作選』(岩波文庫)』▽『小鷹信光編・訳『O・ヘンリー・ミステリー傑作選』(河出文庫)』
アメリカの短編作家。本名ポーターWilliam Sydney Porter。むだのない軽妙な語り口と意外性のある結末によって広く親しまれた。ノース・カロライナ州生れ。銀行員時代に公金横領の嫌疑で告発され,中央アメリカに逃亡したが,妻の危篤を知り帰国,逮捕されて3年間の刑務所生活を送った。服役中に短編を書きはじめ,出獄後ニューヨークに住んで作家として活躍,当時の商業雑誌隆盛の波に乗って,一時は週に1編の割で作品を書き,約600編の作品を残した。それらは《四百万人》(1906)など13の短編集に集められているが,当時のニューヨークの人口をあらわすこの表題作が示すように,作品のほとんどはニューヨークに住むあらゆる階層の人々の生活を,ユーモアとペーソスのまじりあう絶妙のプロットに織りこんだもので,《賢者の贈物》(1906),《最後の一葉》(1907)などはとくに有名な佳作である。一般に彼の作品は感傷性過多で浅薄のそしりをまぬかれないが,アメリカ短編小説の一つの典型を築いたことは,1918年オー・ヘンリー記念賞が設定されたことでもわかる。日本でも彼の作品は早くから愛読され,その翻案がしばしば大衆文学に登場した。
執筆者:大橋 吉之輔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1862.9.11 - 1910.6.5
米国の作家。
ノース・カロライナ州グリーンズバラ生まれ。
本名ウィリアム・シドニー ポーター。
15歳から叔父の店で働く。1882年テキサス州に移り、様々な職業を転々とする。1887年結婚。1896年勤めた銀行から横領罪で告訴され、中央アメリカのホンジュラスに逃亡。放浪の後、1898年妻の危篤を知り、帰国して自首する。服役中に、短編小説を書き始め、1899年「マクレアズ」誌に第一作が掲載される。1901年出獄。ニューヨークに住み、「賢者の贈り物」など所収の「四百万」(’06年)はじめ13の短編集に、約600編の作品を残す。代表作は「手入れのよいランプ」(’07年)所収の「最後の一葉」、その他。’18年オー・ヘンリー賞が設定される。
1862 - 1910
米国の作家。
ノースカロライナ州生まれ。
本名ウィリアム・シドニー・ポーター〈William Sydney Porter〉。
テキサス州に出て、様々な職業に就き、傍ら雑誌の発行や新聞に寄稿する等ジャーナリズムに関係していたが、1896年勤務していた銀行の公金横領で訴えられ、南米のホンデュラスに亡命。帰国後裁判を受け3年余り服役。この間短編小説を書き始め、出獄後ニューヨークで作家として活躍。1904年唯一の長編「キャベツと王さま」で文壇にデビュー。庶民の哀感とユーモアを織り交ぜ、意外な結末に物語を導く手法で、「賢者の贈物」「最後の一葉」(共に’05年)や、’07年「西部の心」、’08年「都会の声」等9編の短編集を発表。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
「ヘンリー」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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