ポーター(読み)ぽーたー(英語表記)Rodney Robert Porter

デジタル大辞泉 「ポーター」の意味・読み・例文・類語

ポーター(porter)

鉄道駅・空港・ホテルなどで客の荷物を運ぶ仕事をする人。
登山で、荷を運ぶ仕事を専門にする人。
[類語]赤帽強力ごうりき

ポーター(Cole Albert Porter)

[1891~1964]米国の作曲家・作詞家。「キス‐ミー、ケイト」「カン‐カン」など数多くのミュージカル作品を手がけた。代表曲「夜も昼も」「ビギン‐ザ‐ビギン」などはスタンダードナンバーとなった。

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精選版 日本国語大辞典 「ポーター」の意味・読み・例文・類語

ポーター

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] porter )
  2. 駅や空港、ホテルなどで客の荷物運びを仕事とする人。赤帽。
    1. [初出の実例]「半纏(はんてん)の背にポーター(欧文)襟に税関搆内運搬夫と染抜きたる服装の人夫来りて」(出典:風俗画報‐二三九号(1901)乗客の順序)
  3. 登山で、荷を運ぶ仕事を専門にする人。〔登山技術(1939)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポーター」の意味・わかりやすい解説

ポーター(Rodney Robert Porter)
ぽーたー
Rodney Robert Porter
(1917―1985)

イギリスの生化学者。リバプール近郊のニュートン・ル・ウィロウズで生まれる。1939年リバプール大学を卒業、1940年から1946年まで第二次世界大戦のために兵役についた。1948年ケンブリッジ大学で博士号を取得したのち、1949年から1960年までロンドンの国立医学研究所で研究に従事した。その間、セントメリー病院医学校、ロンドン大学において免疫学の講座を開いている。1967年オックスフォード大学の生化学教授となったが、大学を退職する3週間前の1985年9月6日に交通事故のため死去した。

 ケンブリッジ大学時代にF・サンガーのもとでタンパク質化学の研究に着手、抗体の構造の研究を進めた。やがて、免疫グロブリンのうちのIgGがタンパク質分解酵素のパパインによって三つの断片に分かれることを発見、さらに1962年にはIgGのペプチド鎖構造を解明、有名なY字形の分子構造を示した。その後も、多くの免疫グロブリンの化学構造を決定している。1972年「抗体の化学構造に関する発見」により、アメリカのG・M・エーデルマンとともにノーベル医学生理学賞を受賞した。

[編集部]


ポーター(Katherine Anne Porter)
ぽーたー
Katherine Anne Porter
(1890―1980)

アメリカの女流小説家。テキサス州に生まれる。幼くして母親を亡くし、祖母に育てられる。1910年カトリックに改宗。1918年デンバーで新聞記者をしているとき、インフルエンザにかかり死の一歩手前までゆく。ニューヨークに出たのち、1920年メキシコに行き、革命に直面する。こうした体験が意識の流れの手法を織り交ぜた中編『蒼(あお)い馬、蒼い騎士』や、象徴的な短編『花咲くユダの木』をはじめ、メキシコを舞台とする芸術的完成度の高い作品となる。1931年ドイツの客船に乗ってナチス台頭前夜のヨーロッパに行く。この体験が唯一の長編『愚者の船』(1962)を生んだ。国籍・宗教の異なる多数の登場人物の悲喜劇を通して、現代文明、人間性を鋭く揶揄(やゆ)する。寡作ながら、人間の本質を鋭く追求した気品のある作品を残し、90歳で世を去った。短編集『花咲くユダの木他』(1930)、南部の大家族制の神話のベールをはがした『古い人々』『昼酒』、表題作の3編の優れた中編を収めた『蒼い馬、蒼い騎士』(1939)、著者を思わせるミランダを主人公とする連作『古い秩序』を含む短編集『斜塔他』(1944)などがある。

[板橋好枝]

『尾形敏彦編『アメリカ文学の新展開・小説』(1983・山口書店)』『工藤昭雄訳『愚者の船』上下(1965、66・河出書房新社)』『小林健治・岡田田鶴子訳『花咲くユダの木』(1982・篠崎書林)』『E・H・ロペズ著、小林田鶴子訳『キャサリン・A・ポーター、自己を語る』(1984・大阪教育図書)』


ポーター(George Porter)
ぽーたー
George Porter
(1920―2002)

イギリスの物理化学者。ヨークシャー州に生まれる。リーズ大学を卒業、第二次世界大戦中は志願兵として海軍のレーダー関係の仕事についた。1945年ケンブリッジ大学教授ノリッシュの研究室に入る。1955年シェフィールド大学の教授となり、1966年からはロイヤル・インスティチューション(王立研究所)所長に就任した。1972年にはナイトに叙せられる。

 ケンブリッジ大学時代、ノリッシュと共同で、化学反応のうちの閃光(せんこう)光分解の研究を進め、反応の途中で生成する非常に寿命の短い中間体を測定する閃光光分解法を開発した。この業績(極短時間エネルギーパルスによる超高速化学反応の研究)に対して、ドイツの物理学者アイゲン、および共同研究者のノリッシュとともに1967年のノーベル化学賞を受賞した。なお、1988年(昭和63)には第1回ノーベル賞受賞者日本フォーラムに出席のため来日している。

[編集部]


ポーター(Hal Porter)
ぽーたー
Hal Porter
(1911―1984)

オーストラリアの小説家。メルボルン郊外生まれ。高校卒業後はメルボルン、アデレード、タスマニア各地で新聞記者、州政府職員、中・高校教員、劇場主事、図書館員など各種の職業に従事。38年のシドニー市150年祭賞はじめ多くの文学賞を受け、61年より作家生活に入る。この間49~50年、オーストラリア進駐軍付教員として広島県呉(くれ)市に滞在した。以来日本に興味を寄せ67、80年と2回来日。『役者たち――新日本印象記』(1968)、『お蝶氏(ミスター・バタフライ)ほか新日本短編集(ストーリーズ)』(1970)がある。代表作に『短編集』(1943)、『一握(ひとにぎり)の小銭』(1958)、『傾いた十字架』(1961)、『鋳物模様の欄干があるバルコニーに立つ見張人』(1963)、戯曲『塔』(1962)などがある。

[平松幹夫]


ポーター(Cole Porter)
ぽーたー
Cole Porter
(1893―1964)

アメリカの作詞・作曲家。インディアナ州に大富豪の息子として生まれる。1916年に最初のミュージカル『まずアメリカを見よ』を発表。28年の『パリ』、翌年の『五千万人のフランス人』のヒットで注目され、以後50年代まで『エニシング・ゴーズ』『キス・ミー、ケイト』『カン・カン』ほか多くの名作ミュージカルを生んだ。もっともアメリカ的で都会的に洗練された感覚の大物であり、有名歌曲に『夜も昼も』『ビギン・ザ・ビギン』『帰ってくれたら嬉(うれ)しい』などがある。

[青木 啓]


ポーター(Edwin Stratton Porter)
ぽーたー
Edwin Stratton Porter
(1869―1941)

アメリカの映画監督。ピッツバーグ生まれ。映写技師を経て1900年エジソン社に入り、撮影技師兼監督として映画草創期に活躍した。映画技法の創始者の一人。とくに、いくつかの場面をつなぎ合わせることで、一つの首尾一貫した筋が語れることを、実作で示したアメリカにおける最初の人物である。その記念碑的な作品が『アメリカ消防夫の生活』(1902)、『大列車強盗』(1903)で、後者は最初の西部劇としても名高い。

[宮本高晴]

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改訂新版 世界大百科事典 「ポーター」の意味・わかりやすい解説

ポーター
Katherine Anne Porter
生没年:1890-1980

アメリカの作家。テキサス州生れ。開拓者ダニエル・ブーンをはじめ,南部の著名な政治家の血縁にあたる名家の出。修道院で教育を受けた。映画製作にかかわって革命下のメキシコで生活したり,外交官の夫とドイツやフランスで暮らしたこともあり,これらの土地がテキサスとともに作品の舞台となる。1930年,短編集《花咲くユダの木》を発表。複雑な人間の心理への鋭い洞察と簡潔な文体が〈新批評〉の批評家の注目をあび,彼らの寵児となる。以後短編をおもな表現手段として,テキサスを舞台にした殺人事件とそれをめぐる人々の心理を描く《真昼の酒》(1937),第1次大戦中の若い娘と兵士の愛と死を扱った《幻の馬,幻の騎手》(1939),自伝的色彩の強い《過去の人々》(1939)などを発表。《愚者の船》(1962)では,ヒトラー台頭直前の時代を背景に,メキシコからドイツに向かう客船上のさまざまな人間模様を描いた。ほかに評論集《過ぎ去った日々》(1952)など。
執筆者:


ポーター
Cole Porter
生没年:1892-1964

アメリカの作詞家,作曲家。富裕な家に生まれ,ヨーロッパの社交界に親しんで洗練された雰囲気を身につける。複雑な脚韻と都会的な機知に富んだ詞とハーモニックなセンスを生かした曲をもつ歌を舞台のミュージカル,映画などのために多作。ミュージカルの代表作は《陽気な離婚》(1932),《なんでも平気》(1934),《キス・ミー・ケート》(1948),《カン・カン》(1953)などで,多くは映画化され,映画《上流社会》(1956)も有名。《ナイト・アンド・デイ》《ビギン・ザ・ビギン》などポーターの歌の多くはスタンダード・ナンバーとして今も広く歌われる。
執筆者:

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化学辞典 第2版 「ポーター」の解説

ポーター
ポーター
Porter, George

イギリスの物理化学者.リーズ大学卒業後,第二次世界大戦中はレーダー部隊の士官として勤務.戦後ケンブリッジ大学のR.G.W. Norrish(ノリッシュ)の研究室に入り,大容量のせん光放電管の製作に成功し,1949~1950年これを用いて短寿命中間分子種(遊離基,三重項励起分子など)を測定する新しいせん光光分解法を発表した.続く数年間にアセチレン-酸素混合物の爆発における C2,CH,CN,OHなどの遊離基の測定,希ガス中におけるヨウ素分子の再結合反応速度定数の測定,溶液中におけるアントラセンの三重項励起状態の測定など,画期的な研究を発表した.1955年以降シェフィールド大学教授となる.ほかにもベンゾフェノンの三重項励起状態の研究,剛性溶媒中に光および放射線分解で生成したベンジル遊離基の測定など多くの重要な研究がある.1967年Norrishとともにノーベル化学賞を受賞した.


ポーター
ポーター
Porter, Rodney Robert

イギリスの生化学者.リバプール大学で学んだ後,ケンブリッジ大学のF. Sanger(サンガー)のもとでタンパク質化学を学び,1948年博士号を取得.1949~1960年国立医学研究所,1960年から聖マリー病院,1967年からオックスフォード大学生化学教授を務めた.重要な抗体であるγ -グロブリンをパパイン酵素で三つの部分に分解し,二つの部分が抗原と反応し,残る部分には活性のないことを見いだした.Gerald M. Edelmanが得たデータと照らし合わせ,1962年Y型のγ-グロブリンの構造を提出した.この業績により,1972年Edelmanとともにノーベル生理学医学賞を受賞した.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポーター」の意味・わかりやすい解説

ポーター
Porter of Luddenham, George Porter, Baron

[生]1920.12.6. ヨークシャー
[没]2002.8.31. カンタベリー
イギリスの物理化学者。リード大学卒業。第2次世界大戦中はレーダに関する特殊部隊の士官となる。ケンブリッジ大学の R.ノリッシュのもとで研究し,1945年学位取得。ノリッシュとともに非常に短いエネルギーパルスを与えることにより超高速化学反応を研究した。ポーターは特に塩素の気体反応を検討し (1949~55) ,反応しやすい状態にある原子や分子の電子状態,エネルギー準位,反応性などを明らかにした。同大学助教授として2年間務めたのち,シェフィールド大学化学教授 (1955~63) ,王立研究所化学教授 (1963) 。ロイヤル・ソサエティ会員 (1960) 。 1967年,ノリッシュ,M.アイゲンとともにノーベル化学賞を受賞。 1972年ナイトの称号を,1989年メリット勲章を贈られ,1990年一代貴族の称号を与えられた。

ポーター
Porter, Katherine Anne

[生]1890.5.15. テキサス,インディアンクリーク
[没]1980.9.18. メリーランド,シルバースプリング
アメリカの女流作家。修道院の学校で教育を受けたほかは,ほとんど正規の教育を受けなかったが,アメリカ,ヨーロッパ,メキシコなどで新聞の仕事に従事しながら,1920年代後半から短編を書きはじめ,短編集『花咲けるユダの木』 Flowering Judas (1930) ,『蒼ざめた馬,蒼ざめた騎手』 Pale Horse,Pale Rider (39) ,『斜塔』 The Leaning Tower and Other Stories (44) などを発表して,南部の第一級の短編作家として認められた。ほかに,長編『愚者の船』 Ship of Fools (62) ,評論集『かつての日々』 The Days Before (52) など。

ポーター
Porter, Rodney Robert

[生]1917.10.8. アストン
[没]1985.9.6. バークシャー,ニューベリー
イギリスの免疫学者。 1948年ケンブリッジ大学で学位を得たのち,ロンドンの国立医学研究所とセントメアリー病院でおもに免疫学を研究し,60~67年ロンドン大学免疫学教授。 67年からオックスフォード大学の生化学教授。 59年から世界にさきがけてγ-グロブリンの構造に注目,酵素の一種パパインで3つに切断され,2価抗体が1価抗体に分解することを明らかにし,それを手掛りに,免疫学のなかに独自の免疫化学を確立した。この業績に対し,アメリカの G.エーデルマンとともに,72年ノーベル生理学・医学賞を受賞。

ポーター
Porter, David

[生]1780.2.1. ボストン
[没]1843.3. ペラ
アメリカの軍人。 1799年アメリカとフランスとの「宣戦布告なき海戦」や地中海でのトリポリとの戦争に参加。 1812年大佐に昇進,同年開始されたアメリカ=イギリス戦争では軍艦『エセックス』艦長として,2年にわたる遠征を敢行。 23~25年西インド派遣艦隊を指揮して海賊を掃討。 26~29年メキシコ海軍の司令官をつとめたが,スペイン領プエルトリコを不法攻撃した責任をとって退役。 39年トルコ駐在公使。

ポーター
Porter, Edwin Stratton

[生]1870. ペンシルバニア,コーネルスビル
[没]1941.4.30. ニューヨーク
アメリカの映画監督。 1900年頃エジソン会社に入り,カメラマン,監督となった。『アメリカの消防夫の生活』 The Life of an American Fireman (1902) によってアメリカ映画の始祖といわれた。『大列車強盗』 The Great Train Robbery (03) はアメリカ西部劇映画の原型。

ポーター
Porter, Cole

[生]1892.6.9. インディアナ,ペルー
[没]1964.10.15. サンタモニカ
アメリカのポピュラー音楽作曲家。ハーバード大学で音楽を学び,第1次世界大戦にはフランス陸軍に入隊。 1916年から,ミュージカルの作曲を始めた。主作品は『夜も昼も』 (1934) ,『ビギン・ザ・ビギン』 (36) ,『キス・ミー・ケイト』 (48) ,『カンカン』 (53) などで,歌詞もすべて自作。

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百科事典マイペディア 「ポーター」の意味・わかりやすい解説

ポーター

米国のポピュラー音楽作詞家,作曲家。イェール大学在学中から作詞,作曲を始め,ハーバード大学で音楽を専攻,のちパリでV.ダンディに学ぶ。1928年《パリ》で認められ,翌年には《5000万人のフランス人》が成功しミュージカルに専念。ヒット作に《ジュビリー》《パナマ・ハッティ》,《カン・カン》(1953年),《絹の靴下》など。
→関連項目ミュージカル

ポーター

英国の物理化学者。ケンブリッジ大学のR.ノリッシュのもとで研究,のちシェフィールド大学教授。短時間パルスによる平衡状態のかく乱でもたらされる超高速化学反応の研究でノリッシュ,M.アイゲンとともに1967年ノーベル化学賞。

ポーター

米国の女性作家。修道院で育ち,メキシコやヨーロッパを旅行,短編集《花咲くユダの木》(1930年)以来,知的な文体で人間に迫る作風で知られた。《愚か者の船》(1962年)は唯一の長編小説。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ポーター」の解説

ポーター Porter, Hal

1911-1984 オーストラリアの小説家。
新聞記者,教員など各種の職業につく。昭和25年オーストラリア進駐軍付教員として来日し,26年まで広島県呉(くれ)市に滞在。のち作家活動にはいり,42年,55年に再来日,「役者たち―新日本印象記」「お蝶氏(ミスター・バタフライ)ほか新日本短編集」などをあらわした。1984年10月1日死去。73歳。メルボルン出身。

ポーター Porter, Alexandre Pope

1823-1891 イギリスの商人。
安政6年(1859)来日し,箱館で30年にわたり貿易に従事した。明治4年函館港内外国船取締役(函館港長)となり,のち開拓使につとめる。明治24年11月17日死去。68歳。

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世界大百科事典(旧版)内のポーターの言及

【赤帽】より

…主要駅や接続駅の構内,連絡船内などで旅客の依頼する手回り品を運搬する人(ポーター)。常に赤い帽子をかぶっているからこの名がある。…

【輸送】より

…河川の遡航や運河の航行には,主として馬が動力源として使われた。 以上のような産業革命期までの輸送には,陸上輸送では宿屋,水上輸送では港湾施設などの補助施設が不可欠であり,それぞれの場所で荷役を行う沖仲仕やポーターなどの組織も発達した。ロンドンの場合,陸上でも水上でも,市内の荷役は特権ポーターの職掌となっており,彼らの手を借りないではまとまった量の地方の商品を市場に持ち込むことはできなかった。…

【ミュージカル】より

…これはミシシッピ川を往来するショーボートをおもな舞台にして,一座の座長の娘と流れ者の賭博師とのロマンスを描いたものであるが,同時に,人種差別のせいで不幸になる一座の花形女優の物語をも扱い,黒人がおおぜい登場する点,また,個々のナンバーがプロットと緊密につながっている点で,画期的な作品だった。カーンにやや遅れて現れ,第2次大戦前の時期に,あるいは戦後まで,活躍したおもな作曲者は,I.バーリン,G.ガーシュウィン,K.ワイル,C.ポーター,R.ロジャーズなどである。バーリンは詞も書き,最初はおもにレビューの仕事をして無数のヒット・ソングを生んだが,射撃が巧みな娘を主人公にした野趣と生気の充満する《アニーよ銃をとれ》(1946)によって,本格的なミュージカルでも優れた業績を残した。…

※「ポーター」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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