文芸用語。一般に大量生産、伝達、消費を前提とする大衆的な文学をさしていわれる。日本の大衆文学は関東大震災(1923)のあと、マス・メディアの成熟を基盤に形を整えた。近世以来の庶民的文芸の伝統を引くと同時に、西欧のピカレスク・ロマン(悪漢小説)や中国の伝奇小説などの影響も受け、その近代的表現として成立した。大正期における民衆意識の発展は普通教育の普及とともに一般読者の増大をもたらし、日刊紙の100万部突破、週刊誌の創刊、国民雑誌を志向した『キング』の創刊などにより、その文学的要求にこたえた。前史としては三遊亭円朝や松林伯円(しょうりんはくえん)の速記講談、村上浪六(なみろく)の撥鬢(ばちびん)小説、塚原渋柿園(じゅうしえん)や碧瑠璃園(へきるりえん)(渡辺霞亭(かてい))の歴史小説、明治30年代の家庭小説、明治末から大正期へかけての「立川(たちかわ)文庫」などがあるが、作品のうえでは1913年(大正2)に始まる中里介山(かいざん)の『大菩薩峠(だいぼさつとうげ)』、1920年の菊池寛(きくちかん)の『真珠夫人』などを、その先駆的業績とする。成立時には時代小説が主で「チャンバラ小説」などとも称され、通俗小説、探偵小説とは別個にジャンル分けされたが、1930年(昭和5)ごろになると、時代・現代の双方をこなす書き手も生まれ、マスコミの要求も強まって大衆文学の大枠で語られるようになる。
[尾崎秀樹]
大正末から昭和前期にかけては、大衆文学の第一の黄金時代で、白井喬二(きょうじ)、大仏(おさらぎ)次郎、吉川英治(よしかわえいじ)、長谷川伸(はせがわしん)、直木三十五(さんじゅうご)らの時代物、菊池寛、久米正雄(くめまさお)、中村武羅夫(むらお)、加藤武雄らの通俗物、江戸川乱歩、甲賀(こうが)三郎、大下宇陀児(うだる)らの探偵物などが次々に発表され、話題をよぶ。しかし1930年以後になると、文学のマスコミ化に抵抗して新しい模索を示す作家も生まれ、吉川英治などは『松のや露八』を経て『宮本武蔵(むさし)』に至り、大衆文学に人生派的側面を開いた。『荒木又右衛門(またえもん)』の長谷川伸、『突つかけ侍』の子母沢寛(しもざわかん)など、戦後へ引き継がれる作家たちの努力が、この時期にそれぞれの鉱脈を掘り当て、戦時下の厳しい状況をくぐり抜ける。
日中戦争から太平洋戦争期へかけて、作家はペン部隊、陸海軍報道班員として動員されることも多く、表現のうえでも過酷な統制を加えられるが、良心的な作家は、状況に流されず、海音寺潮五郎(かいおんじちょうごろう)の『茶道太閤記(たいこうき)』、山本周五郎の『日本婦道記』、子母沢寛の『勝海舟』も書かれ、長谷川伸は『日本捕虜志』を発表のあてもなく書きためた。
[尾崎秀樹]
第二次世界大戦後もアメリカの占領で時代小説の受難は続いたが、その一方で風俗小説が迎えられ、中間小説が人気の焦点となる。しかし村上元三(げんぞう)の『佐々木小次郎』を皮切りとして、夕刊紙の時代小説も復活し、吉川英治『新・平家物語』、源氏鶏太(げんじけいた)『三等重役』など週刊誌を舞台とした長編や連作が話題となり、山岡荘八(そうはち)の『徳川家康』も始まる。昭和30年代に入ると、衣食住の問題もしだいに安定し、生活の技術革新も進み、家庭の主婦層の余暇時間も増え、大衆文学も質的な発展を遂げ、五味康祐(ごみやすすけ)、柴田(しばた)錬三郎らの剣豪リバイバル、松本清張(せいちょう)とその後に続く社会派推理作家の登場、素人(しろうと)作家の相次ぐ誕生などがみられ、テレビの普及に伴う文化の視覚化に抗し文学の独自性を主張する動きも現れる。しかしビジュアルな方向は急速に進み、文学作品もスピードと展開の速さを求められ、情報性を強めてゆく。1960年代の後半に入ると、「現代性」「風俗性」「記録性」はさらに強まり、1970年代になると「国際性」「情報性」がそれに加わる。推理やSFの手法は普遍化し、時間や空間の軸を自在にとって現代社会を諷(ふう)する作品も現れ、国際的な諸事件も幅広く取り上げられるようになり、歴史物から企業・経済物にまで情報性が求められる。そして純文学と大衆文学の領域はあいまいとなり、ノン・フィクション物との間も明確でなくなる。これは小説のなかに情報が求められる傾向とも関係があるが、他方では現実の重みから心理的に逃避したいという読者の夢にこたえる作品もみられ、その幅はさらに広げられた。水上勉(みずかみつとむ)、司馬遼太郎(しばりょうたろう)、池波正太郎(しょうたろう)、城山三郎、新田(にった)次郎、黒岩重吾(じゅうご)、渡辺淳一(じゅんいち)、平岩弓枝(ゆみえ)、永井路子(みちこ)、杉本苑子(そのこ)、三浦綾子(あやこ)、宮尾登美子(とみこ)、夏樹(なつき)静子、栗本薫(くりもとかおる)(1953―2009)、星新一、小松左京(さきょう)、半村良(りょう)、筒井康隆(つついやすたか)、森村誠一(せいいち)、西村寿行(じゅこう)(1930―2007)、赤川次郎ら多彩な作家が、それぞれの分野で仕事を展開した。素材の多様化、表現の多角化、背景の広角化、情報性の深化などに加えて、視覚・聴覚に強く訴える作品も増え、大衆文学はエンターテインメントとよばれるまでになる。これは文学のマスコミ化の結果であり、社会の多様化の反映である。
[尾崎秀樹]
『尾崎秀樹著『大衆文学論』(1965・勁草書房)』▽『真鍋元之著『大衆文学事典』(1967・青蛙房)』▽『『大衆文学大系別巻 通史・資料』(1980・講談社)』▽『尾崎秀樹監修『歴史小説・時代小説総解説』(1984・自由国民社)』▽『大衆文学研究会編、尾崎秀樹監修『歴史・時代小説事典』(2000・実業之日本社)』▽『尾崎秀樹著『大衆文学』(紀伊國屋新書)』▽『桑原武夫著『文学入門』(岩波新書)』
大正末年にマス・メディアの成熟を基礎として成立した新興文学で,大量生産,大量伝達,大量消費の基本的性格をもつ。日本の近代文学は西欧の19世紀文学に範を仰ぎ,それに追いつき追いこそうとするあまり,近世以来の庶民的文芸や話芸の伝統を拒む傾向があった。それで文芸の庶民的流れは底流化し,それが顕在化するのが大正デモクラシー以後である。そして関東大震災による惨禍をくぐり,不死鳥のようによみがえったマス・メディアの躍進の上に大衆文学は開花した。日刊紙の100万部突破,夕刊・地方版の発行,週刊誌や月刊娯楽誌の相次ぐ創刊,ラジオ放送の開始,活動写真の流行などによって大衆の文化意識が開発され,その新しい受け手の層の要求にこたえるために誕生したのが大衆文学だった。それまでにも大衆に迎えられた多くの文芸作品があった。明治期の家庭小説や歴史小説などである。しかし狭義には,この大正末期に成立した新興文学を指して大衆文学と呼ぶ。この命名者は一般には白井喬二だとされているが,白井みずからは,〈大衆〉という言葉を民衆と同義に使ったのは自分だが,それに文学をつけたのは自分ではないと否定している。
大衆文学は成立当時,時代小説だけを指していわれていた。それは〈書き講談〉〈新講談〉〈読物文芸〉〈大衆文芸〉〈大衆文学〉と呼称が推移した過程でより明確になっていったが,基本的には近世以来の庶民文芸の伝統を復活しようとする意図の現れであり,その中核となった二十一日会の構成もまた時代小説の書き手にかたよっていた。1925年秋に大衆作家の親睦機関として創設された二十一日会には本山荻舟(てきしゆう),長谷川伸,国枝史郎,平山蘆江,江戸川乱歩,小酒井不木(こざかいふぼく),正木不如丘(ふじよきゆう),矢田挿雲,土師(はじ)清二,白井喬二,直木三十三(のちに三十五と改める)が名を連ねているが,乱歩,不木,不如丘を除く他の者は時代小説家であった。またこのグループを中心に企画される《現代大衆文学全集》(平凡社)も圧倒的部分は時代物であり,ほかに探偵小説をふくむ程度で現代物ははずされている。日本の大衆文学が時代小説としてまず成立した裏には,当時の大衆の心理的要求が反映していた。時代閉塞の状況をせめて見せかけだけでも斬り払いたいという願望である。チャンバラは一服の清涼剤として作用した。中谷博が時代小説の剣を《罪と罰》のラスコリニコフの斧にたとえたのもそのことを指している。作家の中には西欧の悪漢小説や歴史ロマンス(sword and cloak),あるいは中国の伝奇小説などの骨法を活用する者もあり,その淵源は多様だが,庶民的な文芸や話芸の伝統が,明治期の速記講談(人情噺(ばなし))や新聞小説となり,政治講談,民権講談,社会講談などの流れとも相まって,民衆文芸を形成したものと考えられる。したがって菊池幽芳,渡辺霞亭らの流れをひく家庭小説の書き手である菊池寛,久米正雄,中村武羅夫(むらお),加藤武雄,吉屋信子らの作品は通俗小説と呼ばれて別の範疇に入れられた。江戸川乱歩,小酒井不木,森下雨村,松本泰,大下宇陀児(うだる),甲賀三郎らの探偵小説も相互の交流はあったが,別枠で考えられた。それらが大衆文学全体の枠の内に収まるのは,1930年前後からである。それは1人の作家が同時に時代小説,恋愛小説,探偵小説,実話小説などを手がけ,作家個人によるジャンル分けがつけにくくなったからである。しかし一方ではマスコミの要求にこたえて読者に追随する傾向も強まり,しだいに成立当初もっていた新興文学としての気魄が乏しくなる。そして迫り来る非常時局に対応し,国策的色調も加わり,作家そのものも文芸銃後運動,軍報道班員などに動員され緊張の日々を送る。戦時中は時代,通俗,探偵各分野で主題や展開にプレッシャーがかかり,自粛する向きもあったが,その反面で文芸のマスコミ化に対する反省も生まれ,史伝小説や実録などにも大作が生まれる。
大衆文学の歴史が,ふたたび活力を取り戻すのは,太平洋戦争がおわってからであり,戦後占領の政治的規制はありながらも民主化の解放感の中で,文芸の中間化が促進され,風俗小説を主とした中間小説の流行を見る。サンフランシスコ体制が固まる前後から,新たなマス・メディア状況に入り,民間放送やテレビ放送の開始によって大衆文学の内容と形態が大きく改まる。それは相次ぐ出版社系週刊誌の創刊,ビジュアルな方向への深化などとなって現れ,さらに家庭電化の普及によって家事時間が短縮された家庭の主婦層までが新たな読者層に加わってきて,推理小説と呼称の改まったジャンルの受け手の層を広げることになる。1960年代の後半になるとテレビ享受は一般化し,そこへ劇画などの流行も加わって,ますます文化の視聴覚化が進み,読者層のヤング化にともなう大衆文学の質的変化が生まれ,ミステリーやSFの好況もあってしだいにエンターテインメントとしての幅を増し,素材も多様化し,作品舞台も国際化するなど,戦前には見られなかった多彩な書き手を輩出させる。しかも映画,演劇,テレビなどとタイアップする企画も多くなり,書籍の廉価本化(新書,文庫)にともなうマス・セール方式が,大衆文学の変貌を結果する。また1970年代の後半からは情報性が強く求められ,情報小説,ノンフィクション・ノベルなどの流行となり,作品の舞台,素材,表現の形式もより多彩となるが,そこには多様化した現代社会の反映を読むことができる。大衆文学という呼称はしだいに用いられなくなり,エンターテインメントと呼ばれるようになる過程で,文学のマス化,マスコミ化はより強くなり,その商品的価値のみを求められるかたよりが生まれるが,その反面,大衆文学が成立時に持っていた目的なりビジョンを回復しようとする努力もあり,その振幅の中に現代の大衆文学はあるとみなされる。
大衆文学の歴史は,10年ないし15年のサイクルで現代にいたっている。大正末年から昭和初年代にいたる第1期は草創時に当たり,中里介山の《大菩薩峠》を先駆として,白井喬二《富士に立つ影》《新撰組》,前田曙山《落花の舞》,国枝史郎《蔦葛木曾桟(つたかずらきそのかけはし)》,大仏(おさらぎ)次郎《鞍馬天狗》《赤穂浪士》,三上於菟吉(おときち)《敵討日月双紙》,行友李風(ゆきともりふう)《修羅八荒》,下村悦夫《悲願千人斬》,吉川英治《鳴門秘帖》,土師清二《砂絵呪縛(すなえしばり)》,子母沢寛《新選組始末記》,佐々木味津三《右門捕物帖》《旗本退屈男》,群司次郎正《侍ニッポン》など時代小説の代表的作品が相次いで発表され,伝奇ロマンにひとつの時代的特色を見せた。その一方で菊池寛《真珠夫人》《第二の接吻》,久米正雄《破船》,吉屋信子《海の極みまで》などの通俗小説が婦女子の心をとらえ,乱歩の《二銭銅貨》にはじまる本格推理や,大下宇陀児,甲賀三郎の長編が愛読される。
1930年代に入ると大衆文学は時代物,現代物,推理物をふくむ幅の広さと多様さを持ち,昭和前期の繁栄を競い合う。1人で3役をこなす文壇のモンスター林不忘・牧逸馬・谷譲次の精力的な活躍に象徴されるような多彩な動きが見られるが,その反面,大衆文学の新しい方向を模索する傾向もあり,吉川英治が《松のや露八》や《かんかん虫は唄ふ》などで示した方向は,やがて《宮本武蔵》(1936-39)にひとつの収穫をもたらし,股旅ものから脱却した長谷川伸,子母沢寛らの史伝ものへの接近などを生む。直木三十五《南国太平記》,野村胡堂《銭形平次捕物控》,邦枝完二《お伝地獄》,三上於菟吉《雪之丞変化》,鷲尾雨工(わしおうこう)《吉野朝太平記》など,時代小説にも捕物帳,世話物,史伝物,実録物などの幅が生まれ,現代物にも芸道物,明朗物,西欧物,開化物などが現れ,佐々木邦,小島政二郎,山中峯太郎,木村毅,群司次郎正,北村小松,竹田敏彦,浜本浩らが活躍する。しかし時局の緊張によって股旅物や推理物は退けられ,軍事探偵小説や科学国策小説に追いやられる事態の中でも,良心的な仕事は継続され,海音寺潮五郎,山本周五郎,長谷川伸らの努力が実り,戦後へと伝えられる。
戦後の解放感の中でまず花開くのは風俗小説であり,純文学系の石坂洋次郎,舟橋聖一,石川達三,丹羽文雄らの仕事もマスコミの中で展開され,獅子文六,田村泰次郎らもふくめて風俗小説の黄金時代をつくる。占領当初は抑圧されていた時代小説も村上元三《佐々木小次郎》(1950-51)あたりから隆盛に向かう。吉川英治《新平家物語》,源氏鶏太《三等重役》などで週刊誌小説の新領域を開拓し,やがてテレビ時代の到来に呼応する形で,柴田錬三郎《眠狂四郎無頼控》,五味康祐《柳生武芸帳》なども連作形式を活用して執筆され,新しい読者層のひろがりの上で松本清張の《点と線》《眼の壁》など社会派本格推理の諸作が発表されて,いわゆる清張ブームを生む。時代小説の現代化(マゲをのせた現代物)の方向として南条範夫が現れ,山本周五郎が独得の切りこみを歴史や市井物に見せると同時に,海音寺潮五郎の《武将列伝》など史伝物も迎えられる。独自の戦中・戦後体験をもつ五木寛之,野坂昭如,井上ひさしらの風俗小説,星新一,小松左京,筒井康隆,半村良らSF出身の作家などが輩出することにより,大衆文学の領域はさらに拡大され,それに司馬遼太郎,池波正太郎らの歴史物,新田次郎の山岳物,城山三郎の企業物,立原正秋,渡辺淳一の風俗物など多様なジャンルがそれぞれの収穫をあげ,さらに女流作家の活躍が目だちはじめるのも1970年代以後の現象である。しかも山崎豊子,有吉佐和子,三浦綾子,曾野綾子,永井路子,杉本苑子,宮尾登美子,栗本薫ら男性作家をしのぐ芸域での活躍が目立ち,大衆文学の多様化に寄与している。文学のマス化,マスコミ化の過程で純文学と大衆文学の垣根が取り払われてきたが,同時に文学の商品化も目だち,読者とともに書く文学としての本来的な意味が改めて問い直されてもいる。
執筆者:尾崎 秀樹
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1923年(大正12)の関東大震災の1~2年後に成立したマス・メディアが,広範な読者層の獲得をめざして採用した大量消費のための商品文学。当初は物語性にとんだ時代小説をさしたが,のちには恋愛小説や探偵小説など現代風俗を描いた通俗小説も含む概念となった。第2次大戦後は中間小説や推理小説,SFの隆盛などによって純文学との境界が曖昧になりつつある。作家に中里介山・直木三十五・吉川英治・大仏(おさらぎ)次郎らがいる。
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…武州御岳(みたけ)神社の奉納試合で竜之助が宇津木文之丞を殺し,その妻お浜を奪って江戸へ走り,敵とねらう文之丞の弟兵馬がそれを追う発端から,話は京都,伊勢,甲州,安房,信州,飛驒と拡がり,最後には東経170度,北緯30度の椰子林(やしりん)共和国にまで及ぶ。登場人物も多岐にわたり,竜之助,兵馬のほか怪盗七兵衛,進歩派の駒井能登守,神尾主膳,間の山(あいのやま)のお玉ことお君,精悍無比な米友や小坊主弁信など特異な人物群像が多く,時代長編の一大巨峰として位置し,それ以後の大衆文学に深い影響を与えた。ニヒル剣士竜之助像の創造には作者なりの時代批判があり,善悪の彼岸に生きようとする意図もあったが,しだいに思想性,宗教性を加え,作者はこれを〈大乗小説〉と称した。…
※「大衆文学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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