20世紀日本人名事典 「お鯉」の解説
お鯉
オコイ
- 生年
- 明治13(1880)年12月8日
- 没年
- 昭和23(1948)年8月14日
- 出生地
- 東京・四谷
- 本名
- 安藤 照
- 旧姓(旧名)
- 小久江
- 別名
- 号=妙照尼
- 経歴
- 東京・四谷見附の漆問屋に生まれ、6歳の時に新宿で引手茶屋を営む安藤兼作の養女となる。間もなく養家の家産が傾き、明治26年14歳で新橋の芸妓となった。さらに16歳の時には新聞人・福地桜痴らの後援を受けて独立し、“目千両”と言われた美貌で人気を集めた。32年歌舞伎俳優の市村家橘(のちの15代目市村羽左衛門)と結婚するが、のち離別。再び芸妓として活躍していたところを政治家・首相の桂太郎に見初められ、日露戦争開戦直前に落籍された。桂からひとかたならぬ寵愛を受けるも、大正2年に死別し、知人の援助を受けて銀座にカフェ・ナショナルを開業。しかし、昭和9年の帝人事件に連座し、偽証罪で実刑判決を受けた。その後、国家主義者・頭山満の勧めで出家し、妙照尼と名乗って荒廃していた目黒の羅漢寺の復興に尽力した。回顧録に「お鯉物語」「続お鯉物語」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報