ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説
カジミエシ4世ヤギェロンチク
カジミエシよんせいヤギェロンチク
Kazimierz IV Jagiellończyk
[没]1492.6.7. グロドノ
ポーランド王 (在位 1447~92) 。ウワディスワフ2世ヤギェウォの次男。 1440年リトアニア (リトワ) 大公。兄ウワディスワフ3世が 44年トルコとの戦いに倒れたのち,貴族に推されて即位。 54年ハプスブルク家出身のエリジュベータと結婚,6人の男子,7人の女子をもうけ,王朝政策に活用,ヤギェウォ朝隆盛の基礎を築いた。外交においてはリトアニア大公として 49年モスクワ大公国と条約を結び,東方国境を確保しようとしたが,86年以降その進出を許し,また黒海沿岸におけるトルコの進出を阻止できなかった。しかしポーランド王としては,54~66年ドイツ騎士団と戦ってプロシアの臣従を確保,オシフィエンチム地方 (57) ,マゾフシェ地方の一部 (62,76) を併合し,また 71年に子ウワディスワフ (ウラディスラフ2世ヤゲロウェツ ) をボヘミア王に,90年にはハンガリー王に即位させた。内政においてはクラクフ司教オレシニツキに率いられた小ポーランド地方の大貴族反対派と戦い,その死後司教叙任権を確保。ドイツ騎士団と戦うために『ニェシャワ法典』 (54) を発布して中小貴族に譲歩,貴族特権増大への道を開いた。自身は無教養であったが,安定した統治と経済的繁栄によってポーランド文化の爛熟期を現出させた。
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