コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

桂庵玄樹 けいあんげんじゅ

8件 の用語解説(桂庵玄樹の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

桂庵玄樹
けいあんげんじゅ

[生]応永34(1427).周防,山口
[没]永正5(1508).6.15. 薩摩,伊敷
室町時代後期の臨済宗の僧。別号は島陰。応仁1 (1467) 年遣明使天与清啓に従って中国に渡り,文明5 (73) 年帰朝し石見から筑後,肥前など諸国をめぐって儒学を講じ,同 10年島津忠昌に招かれ薩摩に桂樹庵を開講し,薩南学派の基をつくった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

けいあん‐げんじゅ【桂庵玄樹】

[1427~1508]室町後期の臨済宗の僧。長門(ながと)の人。別号、島陰。明に渡り、在明7年ののち帰国。薩摩(さつま)の島津忠昌の帰依を受けて桂樹庵を開き、「大学章句」など朱熹の新注による四書を日本で初めて刊行し、薩南学派の祖とされる。著「桂庵和尚家法倭点」「島陰漁唱」など。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

桂庵玄樹【けいあんげんじゅ】

室町中期の臨済宗の僧,儒家。号は島陰(とういん)。周防(すおう)の人。明(みん)にあること7年,のち薩摩(さつま)・日向(ひゅうが)に住した。ことに《尚書》に詳しく,四書の新注の訓法は,岐陽(きよう)不二から惟肖得巌(いしょうとくがん)を経て桂庵に伝わり,その改訂を受け,さらに3代後の弟子の文之玄昌(ぶんしげんしょう)により世に普及した。
→関連項目薩南学派

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

桂庵玄樹 けいあん-げんじゅ

1427-1508 室町-戦国時代の僧。
応永34年生まれ。臨済(りんざい)宗。南禅寺の景蒲玄忻(けいほ-げんきん)の法をつぐ。応仁(おうにん)元年明(みん)(中国)にわたって朱子学をまなぶ。帰国後,薩摩(さつま)(鹿児島県)島陰寺で朱子学をおしえ,文明13年伊地知(いじち)重貞とともに朱子の「大学章句」を刊行。薩南学派の祖とよばれる。永正(えいしょう)5年6月15日死去。82歳。周防(すおう)(山口県)出身。別号に島陰。著作に「島陰漁唱」「桂庵和尚家法倭点」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

桂庵玄樹

没年:永正5.6.15(1508.7.12)
生年:応永34(1427)
室町時代の臨済宗の僧。周防,一説に長門(共に山口県)の人。別号島陰。儒学に秀で,西国を中心とした薩南学派の祖とされる。9歳で南禅寺に入り景蒲玄忻に随侍,惟正明貞に師事して朱子学を学んだ。応仁1(1467)年に遣明使の随行として入明,7年間にわたって儒学を研鑚した。帰国ののち,肥後(熊本県)の隈部忠直に招かれて宋学を講じる。こののち九州を中心に活動,島津氏一族の篤い帰依を受けて薩摩(鹿児島県)に島陰寺(桂樹庵)を構えた。その学系は文之玄昌から藤原惺窩におよび近世朱子学の源流となった。また,独自の訓点法を記した『家法倭点』は,儒学史上きわめて重要視される。<著作>『桂庵和尚家法倭点』『島陰漁唱』<参考文献>武藤長平「桂庵禅師と薩藩の学風」(『歴史地理』21巻2号)

(石井清純)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

けいあんげんじゅ【桂庵玄樹】

1427‐1508(応永34‐永正5)
室町・戦国期の臨済宗の禅僧。別に島陰とも号す。周防(山口県)に生まれたが,家系は明らかでない。16歳で出家し,南禅寺雲興庵の景蒲玄忻に法を受けた。また,建仁寺の惟正明貞,東福寺の景召瑞棠などに参じ,儒学の講説を受けた。この後,長門(山口県)の永福寺に移り,1467年(応仁1)天与清啓の遣明使に随行して入明し,73年(文明5)に帰朝するが,当時,京都は応仁・文明の乱の最中であり,このため京都に帰ることなく石見(島根県)に乱を避けた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

けいあんげんじゅ【桂庵玄樹】

1427~1508) 室町時代の臨済宗の僧。周防の人。号、島陰。明に渡って朱子学を学ぶ。島津忠昌ただまさに招かれ薩摩の桂樹庵で宋学を講じ、朱子の「大学章句」を刊行。薩南学派の祖となる。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

桂庵玄樹
けいあんげんじゅ
(1427―1508)

室町時代の臨済(りんざい)宗聖一(しょういち)派の僧。別号は島陰(とういん)。長門(ながと)(山口県)赤間関の人。9歳で南禅寺雲興庵(うんこうあん)の景蒲玄忻(けいほげんきん)に師事し、おもに京都五山で内外の典籍を学び、宋儒(そうじゅ)の学に長じた。1467年(応仁1)遣明(けんみん)使に従って入明、朱子学などを学んで帰国し、島津氏の招聘(しょうへい)により薩摩(さつま)(鹿児島県)に桂樹庵(島陰寺)を開いて宋学を講じた。81年(文明13)朱子(朱熹(しゅき))の新注を刻した『大学章句』を刊行するなどして、薩南(さつなん)学派の祖となった。また日向(ひゅうが)(宮崎県)安国寺を兼住、さらに建仁寺、南禅寺にも住し、永正(えいしょう)5年6月15日示寂。『島陰漁唱』『島陰雑考』『家法和点』などの著がある。[石川力山]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の桂庵玄樹の言及

【薩摩版】より

…同時期の大内氏(大内版)と同じく,島津氏も明と盛んに交易をするとともに,朱子学をはじめ学問や文化に深い関心を示した。1478年(文明10)島津忠昌(1463‐1508)は桂庵玄樹を招いて桂樹院を創立したが,桂庵が81年に開版した《大学章句》は,日本における《大学》(四書の一つ)の印行の最初といわれる。同81年には《聚分韻略(しゆうぶんいんりやく)》全5巻が開版されており,薩摩版の初めとされ,国立国会図書館などに現存する。…

※「桂庵玄樹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

桂庵玄樹の関連キーワード周徳天隠龍沢正韵淡海昌敬宙外玄杲東海宗朝乃山独麟福島慶道圜悟克勤済家

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone