カルロス(読み)かるろす(その他表記)Carlos Ⅲ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カルロス」の意味・わかりやすい解説

カルロス(3世)
かるろす
Carlos Ⅲ
(1716―1788)

スペイン王(在位1759~88)、ナポリ王(在位1735~59)。24年間ナポリ王であったが、異母兄フェルナンド6世の死によりスペイン王を継承した。啓蒙(けいもう)専制君主としてスペインの近代化を目ざし、次のような数多くの改革を試みた。すなわち、(1)スペインの伝統的な労働蔑視(べっし)を改め、ブルジョア階級育成を目ざして発布された、貴族位と労働が両立する旨の勅令にみられる社会改革、(2)長子限嗣(げんし)相続制によって巨大化した領主教会の土地の開放計画、領主権の濫用禁止、開拓事業の推進、開墾を妨げてきたといわれる牧羊業者組合(メスタ)の諸特権廃止などにみられる農業改革、(3)産業界に財政的援助を与える目的でサン・カルロス銀行を設立したことに示される商工業育成政策、(4)運河、道路の建設による交通網の整備、その他の土木事業、などである。しかし、資金不足、聖俗界貴族の非協力、ブルジョア階級の層の薄さ、一貫性を欠いた政策遂行などのため十分な成果をあげえなかった。それでも経済の発展、政治の近代化に若干の前進がみられた。とりわけアメリカ貿易の自由化によってカタルーニャバスクバレンシアなどの沿岸諸地方は繁栄した。また、海軍力イギリスによく対抗しうるまでに復興した。その結果、フランス・スペイン同盟のもとで戦った初期の対イギリス戦争は不利な結果に終わったが、アメリカ独立戦争では反乱側を援助し、1783年のパリ平和条約によってフロリダメノルカ島、サクラメント地方(ホンジュラスニカラグアカンペチェ)の三領土を回復した。

[芝 修身


カルロス(4世)
かるろす
Carlos Ⅳ
(1748―1819)

スペイン王(在位1788~1808)。父王カルロス3世の啓蒙(けいもう)改革政策を継承してフロリダブランカ伯Conde de Floridablanca(1728―1808)などを登用したものの、1792年以降は王妃とその愛人といわれたゴドイに政治を任せた。その治世はフランス革命およびヨーロッパ戦争と重なり、内政も外交も混乱した。結局フランスとの同盟のもとで戦った戦争は国庫破綻(はたん)をもたらし、反ゴドイ勢力が皇太子フェルナンドのもとに結集するなど政治不安も高まった。1808年、ナポレオン軍の侵入を機にクーデターと民衆蜂起(ほうき)が起こり、退位を迫られたが、最終的にナポレオンにより退位させられた。以後、対フランス独立戦争が始まる。独立戦争終了後も帰国できないまま、1819年1月19日、ローマで死去。

[中塚次郎]


カルロス(2世)
かるろす
Carlos Ⅱ
(1661―1700)

ハプスブルク家最後のスペイン王(在位1665~1700)。フェリペ4世の子。王位を継承したときわずか4歳であったため、母后マリアーナ・デ・アウストリアが摂政となったが、無能な側近が次々と政治の実権を握り混乱が続いた。彼は長じてからも肉体的、精神的に親政は不可能であったので、その後も同様の事態が続いた。完全に弱体化したスペインは、領土上の野心をもつフランスのルイ14世のかっこうの餌食(えじき)となり、ヨーロッパにおける領土を相次いで喪失した。彼が後継者なく没すると、王位継承をめぐってスペイン継承戦争が起こった。彼の治世はスペインの没落がその極に達した時代である。

[芝 修身]


カルロス(1世)
かるろす

カール(5世)

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旺文社世界史事典 三訂版 「カルロス」の解説

カルロス(2世)
Carlos Ⅱ

1661〜1700
スペイン−ハプスブルク家最後のスペイン王(在位1665〜1700)
フランス王ルイ14世の従弟。後継者になる子がなく,死後,スペイン継承戦争が起こり,スペイン−ブルボン家の祖となったフェリペ5世が即位した。

カルロス(1世)

カール(5世)

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

百科事典マイペディア 「カルロス」の意味・わかりやすい解説

カルロス[1世]【カルロス】

カール[5世]

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世界大百科事典(旧版)内のカルロスの言及

【イベリア半島】より


[近代前期]
 1516年から1700年までスペインはオーストリア起源のハプスブルク家の支配下に劇的な浮沈の一時代を画した。最初の王カルロス1世の領地はスペインのほかにハプスブルク家の領地,ブルゴーニュ公領,アラゴン王家の領地を含み,さらに新世界が加わり,そのうえ神聖ローマ皇帝カール5世として名目的にせよドイツ諸侯に君臨した。カルロスの死後,ハプスブルク体制はスペインとオーストリアに二分されるが,前者には1580年から1640年までポルトガルがその海外領土と共に加わり,文字通り日の没することのない史上初の地球的広がりを持つ帝国(スペイン帝国)が生まれた。…

【カール[5世]】より

…在位1519‐56年。スペイン王としてはカルロス1世とよばれた(在位1516‐56)。皇帝マクシミリアン1世の孫。…

【スペイン帝国】より

…ただ一人の王子には先立たれ,王族間の結婚によるポルトガルとの連合結成も当事者の死によって夢に終わった。1516年にフェルナンドが死んだとき,カスティリャとアラゴンの王位継承順位の筆頭者は,両王の次女フアナの長男カルロスだった。名門ハプスブルク家の血を引くとはいえ,この孫の登場はおそらく両王が生前予想も期待もしなかったことだった。…

【ポルトガル】より

…イギリスの強圧的な最後通牒に屈した政府を激しく批判した共和主義者は,急速に国民の支持を得ることとなった。1907年ジョアン・フランコJoão Franco独裁政権は議会を解散し,共和主義者を弾圧したため,08年2月国王カルロスと王太子ドン・ルイスが共和主義者に殺され実質的に王政は終焉した。
[共和政の成立]
 1910年10月4日リスボンで一部の過激な軍人と市民とによる革命が成功し,翌5日共和政が宣言され,ポルトガルはスイス,フランスに次いでヨーロッパで第3番目の共和国となった。…

【カルリスタ戦争】より

…19世紀スペインで3回にわたって戦われた内戦。フェルナンド7世には嫡子がなかったため,後継者は弟ドン・カルロスCarlos María Isidro de Borbón(1788‐1855)と目されていた。だが兄王は晩年,娘イサベル(後の2世)が誕生するにあたり,1713年以来用いられてきた女子相続を否定するサリカ法を廃棄した(1830)。…

【カルリスタ戦争】より

…19世紀スペインで3回にわたって戦われた内戦。フェルナンド7世には嫡子がなかったため,後継者は弟ドン・カルロスCarlos María Isidro de Borbón(1788‐1855)と目されていた。だが兄王は晩年,娘イサベル(後の2世)が誕生するにあたり,1713年以来用いられてきた女子相続を否定するサリカ法を廃棄した(1830)。…

【カルリスタ戦争】より

…19世紀スペインで3回にわたって戦われた内戦。フェルナンド7世には嫡子がなかったため,後継者は弟ドン・カルロスCarlos María Isidro de Borbón(1788‐1855)と目されていた。だが兄王は晩年,娘イサベル(後の2世)が誕生するにあたり,1713年以来用いられてきた女子相続を否定するサリカ法を廃棄した(1830)。…

※「カルロス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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