日本大百科全書(ニッポニカ) 「カンチェンジュンガ山」の意味・わかりやすい解説
カンチェンジュンガ山
かんちぇんじゅんがさん
Kangchenjunga
Khangchendzonga
ヒマラヤ山脈の東部、シッキム・ヒマラヤ山脈にある大山群。インド東部のシッキム州とネパール東部の国境上にそびえる。五つの峰が群がり、そのうちの3峰までが8000メートルを超す高峰で、とくに主峰(8586メートル)は世界第3位の高峰である。東から西へ尾根伝いに続く7780メートル峰、南峰(8491メートル)、主峰、西峰(8505メートル、ヤルン・カンともよぶ)、ついでカンバチェン峰(7902メートル)から構成される。カンチェンジュンガとはチベット語で「大きな五つの雪の宝庫」を意味し、仏教でいう「五大宝蔵」をさす。この山群は東からゼム、タルン、ヤルン、カンチェンジュンガの各氷河に囲まれているが、この名称が山をさすのか氷河をさしてよんだのかは不明である。おそらく神聖な山をさしていったのであろう。古くはキンチェンジュンガ山ともよばれ、世界の最高峰と信じられてきた。地質学的には大部分が淡色の片麻(へんま)岩と黒雲母(くろうんも)片岩とが互層し、これをペグマタイトの脈が所々で貫入している。カンチェンジュンガ山の先端2000メートル前後の部分が突き出た形になっているのは、侵食で形成されたばかりでなく、最近の時代の上昇運動によるものと考えられる。ヒマラヤ山麓(さんろく)の保養地ダージリンからわずか50キロメートル足らずの所にそびえているため、人々の注目を集め、19世紀の中ごろからこの周辺の探検や調査がなされた。1848~1850年のイギリスの植物学者J・D・フッカーによる古典的旅行があり、1899年にはフレッシュフィールドDouglas William Freshfield(1845―1934)の山麓一周が行われた。本格的な登山は1905年のスイス・イギリス・イタリア合同隊、1929年、1931年のドイツ隊、1930年の国際隊などによって行われ、12回に及ぶ失敗のあと、1955年5月25日、イギリスのエバンズCharles Evans(1918―1995)を隊長とするエバンズ隊によってようやく登頂された。
[金子史朗]
カンチェンジュンガ山を含むインドのカンチェンジュンガ国立公園は、2016年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産の複合遺産に登録された(世界複合遺産)。
[編集部 2017年2月16日]
『小西政継著『カンチェンジュンガ無酸素登頂記』(1981・山と渓谷社)』▽『日本ヒマラヤ協会編『ヒマラヤへの挑戦 カンチェンジュンガ マカルー ローツェ チョー・オユー』(2000・アテネ書房)』