カーゾン(読み)かーぞん(英語表記)Sir George Nathaniel Curzon

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カーゾン」の意味・わかりやすい解説

カーゾン(Sir George Nathaniel Curzon)
かーぞん
Sir George Nathaniel Curzon
(1859―1925)

イギリスの政治家。インド次官、外務次官を経てインド総督(在任1899~1905)となり、周辺地域をめぐって対ロシア強硬路線を推進、内政的には民族運動への徹底的弾圧を行った。1905年には民族分断策であるベンガル分割を強行し、これが引き金となって20世紀初頭最大の反英闘争へと発展していった。帰国後の1907年オックスフォード大学総長となり、ついで政界に復帰(貴族院、保守党)。第一次世界大戦中はアスキス内閣の国璽尚書(こくじしょうしょ)を務め、ロイド・ジョージ戦時内閣にも加わった。戦後の1919年にバルフォアの後を受けて外相となったが、首相ロイド・ジョージと外交政策をめぐりしばしば対立。続くボナー・ロー内閣の外相(1922~1924)となり、ローザンヌ会議(1922~1923)では主役を務めた。大戦後のポーランド・ソ連国境線画定で主導的役割を果たし、カーゾン線の名が残っている。1921年には侯爵位を与えられた。

[内藤雅雄]


カーゾン(Sir Clifford Curzon)
かーぞん
Sir Clifford Curzon
(1907―1982)

イギリスのピアノ奏者。ロンドンに生まれ、同地に没。ロンドン王立音楽院を卒業後、ベルリンシュナーベルに、パリランドフスカ師事。1932年から本格的な演奏活動に入り、ヨーロッパ各地をはじめアメリカでも活躍した。古典派ロマン派を主たるレパートリーにしており、流麗である反面迫力に乏しいうらみがあるが、室内楽を演奏するときのカーゾンは、気品のある音楽世界を生み出した。77年叙勲。

[岩井宏之]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カーゾン」の意味・わかりやすい解説

カーゾン
Curzon, George Nathaniel, 1st Marquis of Kedleston

[生]1859.1.11. ダービーシャー,ケドルストン・ホール
[没]1925.3.20. ロンドン
イギリスの政治家。 1886~92年保守党所属下院議員。早くから東洋に対する強い関心をもち,87年以降数年にわたって東洋諸国を歴訪。その結果『中央アジアにおけるロシア』 Russia in Central Asia (1889) などの著書を刊行。インド次官 (91~92) ,外務政務次官 (95~98) を経て,99年インド総督に就任。ベンガル分割や民族運動抑圧など帝国主義的政策を強力に遂行したが 1905年に辞任。 07年オックスフォード大学総長。第1次世界大戦中の連立内閣に国璽尚書 (1915~16) として入閣。さらに枢密院議長 (16~19) に転じ,ロイド・ジョージ戦時少数内閣の閣僚および貴族院首領として活躍した。戦後は外務大臣 (19~24) として,ロイド・ジョージ連立内閣,A.ローおよび S.ボールドウィンの保守党に引続き席を占め,21年侯爵を授かる。その間ローザンヌ会議 (22~23) を主宰して,トルコにおけるイギリスの威信を回復し,23年にはルール占領に伴う独仏間の緊張の緩和に尽力した。 24年末から没するまで,再び枢密院議長をつとめた。

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