日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュナーベル」の意味・わかりやすい解説
シュナーベル(Julian Schnabel)
しゅなーべる
Julian Schnabel
(1951― )
アメリカの美術家。ニューヨークに生まれる。1980年代のニュー・ペインティングの代表的作家。ヒューストン大学卒業後、タクシー・ドライバーやコックをしながらヨーロッパに滞在する。1979年、カンバスいっぱいに陶器の破片を貼りつけ、その上に荒々しいタッチで死、暴力、神話といったイメージを描いた作品を発表して注目された。当時、マスコミを通じてサクセス・ストーリーとして頻繁に取り上げられ、シュナーベルは短期間でスーパースターになり、1980年代のニューヨークでデビッド・サーレとともに時代の寵児になった。
カンバスに立体的なものを貼りつける手法は、キュビスムにみられるパピエ・コレに端を発しているが、本来のパピエ・コレは画面内にオブジェや色彩を構成して具体的な表現を成立させるものが主流である。それに対し、シュナーベルの割れた皿は、まさに割れた皿としての存在を誇示している。そして、その上に描かれた具象的で寓話的な表現は緊張感があふれ、ダイナミックな印象を与えている。「プレート・ペインティング」とよばれるこれらの作品は、貼りつけられた皿が絵画表現に独特な質感を加味し、平面と立体という両義的な表現を成立させている。壊れた皿の活用は、ガウディの建築のモザイクからシュナーベルが思い起こしたとも批評家に指摘されている。また、シュナーベルはヨーロッパの美術史や伝統などからモチーフを引用すると同時に、日常生活の素材や情報を活用している。実験的な手法として、板、ビロード、動物の毛皮、麻袋、防水布、アルミニウム、リノリウムなど多彩な下地をカンバスとして使うとともに、鹿の角、車のボディ、綿花、時計のぜんまい、拾った木片など、あらゆるものを貼り付ける方法をとっていることも挙げられる。とくにシュナーベルの荒々しい筆致や色彩の使い方はアメリカの抽象表現主義の影響を顕著に表している。
1986~1987年「カブキ・ペインティング」とよばれる一連の作品をニューヨークで発表し、1989年(平成1)東京の世田谷美術館で同名タイトルの個展を開催した。それは、日本の歌舞伎で実際に使われた舞台の背景幕を下敷きに、作家が独自のイメージを描き加えた大型作品である。歌舞伎の背景を使用したことで、日本の伝統芸術と現代美術のコラボレーションと騒がれたが、シュナーベルにとって歌舞伎の背景幕は別の下地と同様に一つの素材にすぎなかった。このシリーズの前に、カーニバルに使用された幕を下地にした『さらば、バティスタ』(1985)を発表したが、それと同系列で歌舞伎の背景幕を活用したにすぎない。また、シュナーベルは、1990年代には絵画に文字を多用するようになり、ウィリアム・ギャディスWilliam Gaddis(1922―1998)の著作『認識』Recognition(1955)から多くの言葉を取り出して画面に描いている。シュナーベル自身が、「言葉はかならず外界と関わりをもちながら、それ自体の配列のなかで自らを脱構築していく側面をもっている」と述べているように、文字をサインとして見ながら、そこに言葉固有の性質から政治的または民族学的な質を付加することが可能であるとしている。つまり言葉自体に意味がありながら、その意味を喪失させることで鑑賞者が予期する言葉の意味を抽象化させることになる。シュナーベルは、歌舞伎の背景幕を使って東洋的なイメージを付加しようとしたことを認めているが、幕自体に意味をもたせているわけではないとしている。幕をあえて使うことで虚構を構築し、そこから得られる「認識」を示すために、こうした異なる素材や下地を活用しているのである。
絵画の支持体(下地)の素材の追求または立体化というのは、1970年代にすでにフランク・ステラやエルズワース・ケリーによって試みられている。とくにステラは支持体の構造を解体し、円筒や円錐を画面から突き出させ、カンバスを壁面の構造体の一部とした。ステラが抽象絵画の探求から支持体に量感をもたせる方向に向かったのに対し、シュナーベルは絵画を認識する側の意識を解体する方向を目ざした。
[嘉藤笑子]
『東野芳明著「フランク・ステラ――ロビンソンの鳥は死んだよ」(『美術手帖』1983年1月号・美術出版社)』▽『伊東順二著「ジュリアン・シュナーベルの絵画について」(『美術手帖』1983年7月号・美術出版社)』▽『『美術手帖』編集部編『現代美術――ウォーホル以後』(1990・美術出版社)』▽『クラウス・ホネフ著、Mayumi Onaka訳『現代美術』(1992・ベネディクト・タッシェン出版)』▽『「ジュリアン・シュナーベル――カブキ・ペインティング」(カタログ。1989・世田谷美術館)』
シュナーベル(Artur Schnabel)
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Artur Schnabel
(1882―1951)
オーストリアのピアノ奏者で、20世紀最高のベートーベン演奏家の一人として名声を博した。リプニクに生まれ、9歳でウィーンの名教師レシェティツキに師事し、急速に上達、晩年のブラームスにその才能を注目された。1900年ベルリンに移り、独奏のほか室内楽でも活躍、室内楽ではバイオリンのカール・フレッシュとの二重奏が評判になった。25年ベルリン音楽大学教授に就任、多くの後進を育てたが、33年ナチスを避けスイス、ついでニューヨークに移住。スイスのアクセンシュタインで没。ベートーベンのほか、シューベルト、ブラームスの解釈で名をなし、欧米各地で演奏を続け、技巧的な弱点を指摘されながらも、音楽を深いところで把握した風格のある表現で聴衆を魅了した。
[岩井宏之]
シュナーベル(Johann Gottfried Schnabel)
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Johann Gottfried Schnabel
(1692―1752)
ドイツの作家。ビッターフェルト近郊のザンダースドルフ生まれ。ハルツ山麓(さんろく)のシュトルベルク伯爵家に仕え、週刊誌『シュトルベルク新奇世界情報集』(1731~38)を発行。「18世紀の愛読書」とうたわれた『フェルゼンブルク島』4巻(1731~43)は「ロビンソン・クルーソー風の物語」とユートピア社会改造説との結合をみごとに描いた、文化史的意義のきわめて深い叙事的写実主義の本格的小説といわれる。
[常木 實]
『常木實訳『南海の孤島フェルゼンブルク』(1973・郁文堂)』