バルフォア(読み)ばるふぉあ(英語表記)1st Earl of Balfour, Arthur James Balfour

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バルフォア」の意味・わかりやすい解説

バルフォア(Francis Maitland Balfour)
ばるふぉあ
Francis Maitland Balfour
(1851―1882)

イギリス動物学者。ケンブリッジ大学で発生学を専攻し、軟骨魚類とくにサメの発生を研究した。広い視野と該博な知識により、散在していた発生学の諸業績を総括し、比較発生学の見地から優れた著書を残した。C・R・ダーウィンの『種の起原』(1859)が発表され、発生学上から進化の裏づけをしようとする風潮のなかで、E・ヘッケル反復説生物発生原則)などに啓発されたバルフォアの業績は、その後の進化論確立と発展に大きく寄与した。アルプス登山中若くして墜死。政治家・哲学者でイギリス首相となったA・J・バルフォアは彼の兄である。主著に『板鰓(ばんさい)魚類の発生』(1878)、『比較発生学論』(1881)などがある。

[町田武生]


バルフォア(1st Earl of Balfour, Arthur James Balfour)
ばるふぉあ
1st Earl of Balfour, Arthur James Balfour
(1848―1930)

イギリスの政治家。ケンブリッジ大学を卒業後、哲学の研究を行う一方、1874年保守党下院議員として政界入りした。1886年スコットランド担当相となり、1887~1891年にはアイルランド担当相として、アイルランド国民同盟の運動に激しい弾圧を加えた。1902年首相に就任、南アフリカ戦争ブーア戦争)で苦戦した教訓のうえにたって帝国防衛委員会を設立、外交面ではイギリス・フランス協商を成立させた。保守党が、ジョゼフ・チェンバレンの関税改革運動をめぐって内部分裂するなかで、1905年12月に首相を辞任、1906年の下院選挙に命運をかけたものの、保守党の大敗という結果を招じた。1911年保守党党首の座をボナ・ローに譲ったが、第一次世界大戦中は海相、外相として活躍、外相在任中の1917年には、シオニストに対してパレスチナに民族的郷土の樹立を認める「バルフォア宣言」を発した。戦後は枢密院議長、ワシントン会議首席代表などを務めた。

[木畑洋一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バルフォア」の意味・わかりやすい解説

バルフォア
Balfour, Arthur James, 1st Earl of Balfour

[生]1848.7.25. イーストロジアン,ホイッティングヘイム
[没]1930.3.19. サリー,ウォキング
イギリスの政治家。 1874年から保守党議員。 78年ソールズベリー (侯)外相の秘書となり,ベルリン会議に随行。次いでソールズベリー内閣の地方自治相 (1885~86) ,アイルランド事務相 (87~91) などを経て,大蔵総裁 (91~92,95~1902) ならびに保守党下院首領となった。 1902~05年首相となり,内政では教育法 (02) ,アイルランド土地買収法 (03) などを成立させ,外交では英仏協商 (04) の締結に努力した。第1次世界大戦中海相 (15~16) ,外相 (16~19) として入閣。戦後パリ講和会議 (19) ,ワシントン会議 (21~22) に代表として出席。 19~22,25~29年枢密院議長。 22年伯爵。

バルフォア
Balfour, Francis Maitland

[生]1851.11.10. エディンバラ
[没]1882.7.19. モンブラン
イギリスの動物学者。ケンブリッジ大学卒業。 1873年よりナポリ海洋研究所で脊椎動物について泌尿器の発生過程などを研究。この研究は,無脊椎動物から脊椎動物が進化してきたことを裏づける決定的な資料を提供した。 76年からケンブリッジ大学で動物形態学を講じ,また初の総括的な比較発生学の教科書である『比較発生学』A Treatise on Comparative Embryology (1880~81) を書いた。彼は発生学の基礎を築いた一人とされている。モンブラン登山中に事故死。政治家 A.バルフォアの弟。

バルフォア
Balfour, Robert

[生]1550?. フォーファーシャー
[没]1625以後
スコットランド出身の古典学者,教父学者。ラテン名は Robertus Balforeus。スコットランドの宗教改革を逃れてフランスに渡り,パリ大学での論争で名をあげた。アリストテレスの『オルガノン注解』(1616),『倫理学注解』(1620)などを著した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報