クリスティアン4世
クリスティアンよんせい
Christian IV
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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クリスティアン[4世]
Christian Ⅳ
生没年:1577-1648
デンマーク・ノルウェー王。在位1588-1648年。カルマル戦争(1611-13),三十年戦争(このうち1625-29),トーステンソンTorstenssonの乱(1643-45)に北欧の覇権を目ざして派兵。結局,スウェーデンとの戦いに敗れ,1645年のブレムセブルーの和議でバルト海上のゴトランド島やエーゼル島,ノルウェー内陸のイェムトランドをスウェーデンに譲渡した。商工業を育成し,多くの有名な建築物が彼の命によって建造され,そのオランダ・ルネサンス風の建築様式は〈クリスティアン4世様式〉と呼ばれる。デンマークでは国歌にも登場する非常に人気のある王である。
執筆者:村井 誠人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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クリスティアン4世
生年月日:1577年4月12日
デンマーク,ノルウェー王(1588〜1648)
1648年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のクリスティアン4世の言及
【オスロ】より
…その後ハンザ同盟都市(とくにロストク)の進出,デンマークとの連合,ペストの大流行等のため急速に衰退。1624年大火の後,デンマーク・ノルウェー王クリスティアン4世は旧市(現オスロ市の南東部ガムレビューエン)を放棄し,その西部に新市クリスティアニアChristiania(Kristiania)の建設を決めた。17~18世紀に海運業と木材取引によって通商の中心地となる。…
【三十年戦争】より
…これによってボヘミアは再びハプスブルク家の支配下に入ったが,それに続いて皇帝は反乱に荷担した新教派諸侯軍を各地に破り,スペイン軍もファルツ領に侵入して,イタリアとネーデルラント間の軍隊輸送路を確保した。
[デンマーク戦争(1625‐29)]
デンマーク王[クリスティアン4世]はこのドイツの内乱につけこみ,イギリス,オランダの援助の約束を得た上で,1625年北ドイツに侵入した。苦境に陥った皇帝にとってこのとき救世主の役割を果たしたのは[ワレンシュタイン]であった。…
【デンマーク】より
…カルマル同盟はデンマークの優位を前提としており,以後スウェーデンは1448年から幾度かの分離を繰り返して最終的には1523年の[グスタブ1世]の即位まで,ノルウェーは1814年まで,いずれもデンマークの支配下におかれることになる。 1448年,オルデンブルクのクリスティアン1世Christian I(在位1448‐81)が国務院から王に推戴され,彼は[オレンボー朝]の開祖となる。次王ハンスHans(在位1481‐1513)は,79年にコペンハーゲン大学を設立した。…
※「クリスティアン4世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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