ティリー(英語表記)Thiry, Marcel

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ティリー」の意味・わかりやすい解説

ティリー
Tilly, Johann Tserclaes, Reichsgraf von

[生]1559.2. ブラバント,ティリー城
[没]1632.4.20. インゴルシュタット
ドイツ,バイエルンの軍人。ブラバントの古い貴族の出身。イエズス会の教育を受け,のちスペイン陸軍に入ってネーデルラントで戦ったが,1610年バイエルン公マクシミリアン1世に請われてカトリック連合総帥となる。 18年に三十年戦争が起ると,皇帝の要請でカトリック連合軍を率いてボヘミア反乱鎮圧に向い,20年プラハ付近ワイセルベルクの戦い大勝を得た。 21~23年にファルツ制圧。 25年にデンマーク戦争が始ると,26年にルッターでデンマークのクリスチャン4世軍を破った。 30年ドイツ皇帝フェルディナント2世軍の最高司令官。 31年マクデブルクを攻略,シュレースウィヒ=ホルシュタインに侵入,ブライテンフェルトの戦いでスウェーデンのグスタフ2世完敗。翌年レヒ河畔の戦いで致命傷を負って没した。

ティリー
Tilley, Samuel Leonard

[生]1818.5.8. ニューブランズウィック,ゲイジタウン
[没]1896.6.25. ニューブランズウィック,セントジョン
カナダの政治家。薬屋を経て 1850年ニューブランズウィック植民地下院議員に当選して政界入りし,61年には同植民地首相に就任。改革派たる自由主義者を代表していた彼は,沿海植民地の連合からひいては北アメリカにおける全イギリス植民地の連合を支持し,シャーロットタウン会議ケベック会議に参加,ニューブランズウィック植民地をコンフェデレーションに導いた。 67年連邦下院議員に選出され,初代関税相として入閣,73年には蔵相となった。 73年から 78年の J.A.マクドナルド下野の間はニューブランズウィック州の副総督をつとめたが,78年再び蔵相に返り咲き,保護関税「国策 (ナショナル・ポリシー) 」の実現に尽力した。その後健康を害して中央政界を退き,85~93年ニューブランズウィックの副総督に再び任命された。

ティリー
Thiry, Marcel

[生]1897. シャルルロア
[没]1977
ベルギーの詩人,小説家。フランス語で書く。 G.アポリネールを賞讃し,詩作品では,不調和な口語的言葉づかいによって自己の内的矛盾を強調し,異郷にある者の不安な感情を表現した。詩集に『疲労の彫像』 Statue de la Fatigue (1934) ,『海と静寂』 La Mer et la Tranquillité (38) ,『年齢』 Ages (50) ,『生命と詩』 Vie Poésie (61) など。小説では,正常と異常との境界で美しい虚構をつくり出している。おもな作品に『義なる人あるいはエレーヌの捜査』 Juste ou la Quête d'Hélène (50) ,『天の川』 Voie lactée (60) 。ベルギー王立フランス語文学アカデミー会員。

ティリー
Tilly,Charles

[生]1929
アメリカの社会学者,政治学者。ニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ社会変動研究センター所長などをつとめる。資源動員論のモデルに基づき,統計的手法を用いて,近代ヨーロッパの社会変動を分析する枠組みを示したことで知られる。主著『政治変動論』 From Mobilization to Revolution (1978) 。

ティリー
Tilley, Vesta

[生]1864.5.13. ウースター
[没]1952.9.16. ロンドン
イギリスの芸人。本名は Matilda Alice Powles。 1868年子役としてデビュー後,多くのミュージック・ホールや劇場に出演,パントマイムの少年役を演じて,ロンドンの人気をさらった。 1920年引退。

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