ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グスタフ2世」の意味・わかりやすい解説
グスタフ2世
グスタフにせい
Gustavus II Adolphus
[没]1632.11.16. リュッツェン
スウェーデン王 (在位 1611~32) 。カルル9世の長男。グスタフ・アドルフとして知られる。 17歳に満たずして即位,即位当初はデンマーク,ロシア,ポーランドとの抗争で危機に直面,特に従兄のポーランド王ジグムント3世ワーザとの王位継承をめぐって紛争が生じた。そのうえ,即位にあたり,国王大権の減殺を意味する憲章の認可 (12) によって,王権に制約を受けていた。しかし名宰相 A.オクセンシェルナを得て,貴族や教会と王室との間を調整して憲章にある王権の制約を有名無実化し,のちのスウェーデン内政の基礎となった内政諸制度を改善整備した。外交面では,デンマークとの悲惨な戦争をクネレド講和条約 (13) で切上げ,ロシアとの紛争もストルボバ条約 (17) で終止符を打ち,これら諸国との紛争を有利に展開し,バルト海に一大勢力を築いた。デンマークやポーランドの攻撃にそなえて,新教国との友好を深めるため,1620年ドイツの新教徒であるブランデンブルク選帝侯ヨハン・ジギスムントの娘マリア・エレオノラと結婚。三十年戦争では新教徒に味方し,29年ドイツに侵入,以後連戦連勝して「北方の獅子」と呼ばれた。 31年9月ブライテンフェルトの戦いで神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の軍を破り,大勝利を得,グスタフは事実上ドイツ新教勢力の頭首となった。 32年リュッツェンの会戦で,スウェーデン軍は勝利を収めたが,グスタフは戦死した。彼の数々の勝利は,軍事全般にわたる完全な改良と戦術の改革によるもので,戦術革命のさきがけをつくった。王の仕事はオクセンシェルナに引継がれ,スウェーデンは一大強国を築くことになる。
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