現代外国人名録2016 「クリントイーストウッド」の解説
クリント イーストウッド
Clint Eastwood
- 職業・肩書
- 俳優,映画監督・プロデューサー
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1930年5月31日
- 出生地
- カリフォルニア州サンフランシスコ
- 本名
- Eastwood,Clinton Jr.
- 学歴
- シアトル大学中退
- 勲章褒章
- フランス政府芸術勲章〔1985年〕, レジオン・ド・ヌール勲章〔2007年〕, 旭日中綬章(日本)〔2009年〕
- 受賞
- アカデミー賞作品賞・監督賞(第65回・77回,1992年度・2004年度)〔1993年・2005年〕「許されざる者」「ミリオンダラー・ベイビー」,アカデミー賞アービング・タールバーグ記念賞(第67回,1994年度)〔1995年〕,ゴールデン・グローブ賞(セシル・B.デミル賞,第45回,1987年度)〔1988年〕,カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞〔1988年〕「バード」,ゴールデン・グローブ賞(監督賞,第46回・50回・62回,1988年度・1992年度・2004年度)〔1989年・1993年・2005年〕「バード」「許されざる者」「ミリオンダラー・ベイビー」,ロサンゼルス映画批評家協会賞(監督賞)〔1992年〕「許されざる者」,全米映画批評家協会賞(最優秀作品賞・監督賞)〔1992年〕「許されざる者」,AFIライフ・アチーブメント賞〔1996年〕,セザール賞(名誉賞)〔1998年〕,ベネチア国際映画祭特別功労賞(第57回)〔2000年〕,ゴールデン・グローブ賞(外国語映画賞,第64回,2006年度)「硫黄島からの手紙」,ロサンゼルス映画批評家協会賞最優秀作品賞(2006年度)「硫黄島からの手紙」,カンヌ国際映画祭特別賞(第61回)〔2008年〕
- 経歴
- 子供の頃サンフランシスコからオークランドに移る。1951年米国陸軍に入隊。除隊後、ロサンゼルス・シティ・カレッジの演劇コースに学ぶ。’55年映画デビュー。’58年にスタートしたテレビ西部劇「ローハイド」のロディ・イエーツ役で脚光を浴びる。’64年イタリア製西部劇「荒野の用心棒」(セルジオ・レオーネ監督)に主演、世界的な大ヒットとなり、いわゆる“マカロニ・ウェスタン”ブームを巻き起こした。次いで’65年「夕陽のガンマン」に出演。’67年米国に戻り、マルパソ・カンパニーを設立、製作者としても活躍を始める。’68年「荒鷲の要塞」、’71年にはドン・シーゲル監督を起用して「ダーティ・ハリー」、自ら監督の「恐怖のメロディー」に出演し、アクションスターの地位を確立するとともに監督としても活躍。’92年の西部劇「許されざる者」(製作・監督・主演)ではアカデミー賞の作品・監督賞など主要部門を独占し、名実ともに第一級の監督及び俳優となる。2004年には「ミリオンダラー・ベイビー」(製作・監督・主演)でアカデミー賞の作品・監督賞など4部門を制覇。2006年太平洋戦争時の硫黄島の戦いを日米双方の視点で描いた「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」の製作・監督を務める。他の出演・監督作品に「ダーティ・ハリー」シリーズ、「荒野のストレンジャー」(1973年)、「アウトロー」(’76年)、「ブロンコ・ビリー」(’80年)、「センチメンタル・アドベンチャー」(’82年)、「ペイルライダー」(’85年)、「バード」(監督のみ,’88年)、「ホワイトハンター ブラックハート」(’90年)、「ルーキー」(’90年)、「パーフェクト・ワールド」(’93年)、「マディソン郡の橋」(’95年)、「目撃」(’97年)、「スペース・カウボーイ」(2000年)、「ミスティック・リバー」(監督のみ,2003年)、「チェンジリング」(監督のみ,2008年)、「グラン・トリノ」(2008年)、「インビクタス/負けざる者たち」(監督のみ,2009年)、「ヒアアフター」(監督のみ,2010年)、「J・エドガー」(監督のみ,2011年)、「人生の特等席」(出演のみ,2012年)、「ジャージー・ボーイズ」「アメリカン・スナイパー」(監督のみ,2014年)など。この間、1986〜88年南カリフォルニアのカーメル市長も務めた。’96年テレビキャスターと再婚。同年12月皮膚がん手術を受けた。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報