イタリア製西部劇の日本での俗称で,ときに〈マカロニ西部劇〉とも呼ばれる。また,英語国では〈スパゲッティ・ウェスタンspaghetti western〉と呼んでいる。ローマのチネチッタ撮影所およびスペインのマドリードを海外の製作基地にして,安い費用で映画を製作していたハリウッドの映画資本が1960年代初めに撤退した後,残された施設やスタッフによって〈西部劇〉が製作され,黒沢明監督の《用心棒》(1961)を西部劇に翻案したセルジオ・レオーネSergio Leone(1921?-89)監督の《荒野の用心棒》(1964)の世界的大ヒットがきっかけとなって,一大ブームを巻き起こした。
イタリア製西部劇は,当初はアメリカ製を装ったイミテーションとしてつくられ,主役はハリウッドから出演料の安い三流スターを招き,イタリア人の俳優やスタッフもすべて英語名の変名を名のるといったぐあいで(たとえば,当初セルジオ・レオーネ監督はボブ・ロバートソン,俳優のジュリアーノ・ジェンマはモンゴメリー・ウッドと名のっていた),先のspaghetti westernというのもそれを揶揄(やゆ)した蔑称にほかならなかった。1950年代に西部劇の傑作の数々(《ウィンチェスター銃73》1950,《怒りの河》1952,《裸の拍車》1953,《遠い国》1955,《西部の人》1958,等々)をつくったアメリカの監督,アンソニー・マンAnthony Mann(1906-67)にいわせれば,〈西部劇の本物の精神がこもっていない。登場する男たちの歩く道は人生の暗黒面でしかない。それにしてもひどい男たちだ。しかも醜いときている。何とひどい面構えばかりだろう!〉ということになる。しかし,まさに伝統的なアメリカ西部劇に固有の〈フロンティア・スピリット〉の無視,そして〈ネオレアリズモ〉の伝統を引く即物的な暴力描写,大量の流血,惜しみなく発射される銃弾とトリッキーなガン・プレー等々にこそ,このイタリア映画の特産品の成功の要因があった。
西部劇から〈アメリカらしさ〉を抜き去った,無国籍で荒唐無稽な世界の中で行われる残酷趣味とゲーム的な興趣を盛った殺し合いを描くことに徹したマカロニ・ウェスタンは,急速に衰退しつつあったアメリカの西部劇(1962-63年にはわずか11本しか製作されなかった)を完全に凌駕(りようが)し,1972年までに400本以上がつくられるという隆盛ぶりを示す。そして逆にハリウッドの西部劇製作を刺激し(1967年にはアメリカでも37本の西部劇が製作された),作風においても大きな影響を与えた。《荒野の用心棒》に続いて《夕陽のガンマン》(1965),《続・夕陽のガンマン》(1966)でセルジオ・レオーネ監督と組んだクリント・イーストウッドClint Eastwood(1930- )は,売れない〈三流ハリウッド・スター〉から国際的大スターとなってハリウッドに返り咲き,《奴らを高く吊るせ!》(テッド・ポスト監督,1967),《真昼の死闘》(ドン・シーゲル監督,1969)に主演するとともに,《荒野のストレンジャー》(1972)ではみずから監督もつとめた。また,流血と大量殺戮(さつりく)の暴力描写を極限まで推し進めたサム・ペキンパーSam Peckinpah(1925-84)監督の《ワイルドバンチ》(1969)などが,〈マカロニ・ウェスタン以後〉のハリウッド西部劇の代表的作品とみなされる。
一方,マカロニ・ウェスタンの元祖セルジオ・レオーネは,アメリカにロケしてハリウッドの一流スターであるヘンリー・フォンダを悪役につかった大作《ウェスタン》(1968)をへて,ロッド・スタイガー,ジェームズ・コバーンというやはりハリウッドの二大スターを主演にした《夕陽のギャングたち》(1971)でこのジャンルの頂点を極める。なお,この間レオーネとともにイタリア製西部劇の成功に大きく寄与したのは,《荒野の用心棒》の口笛と電子楽器をつかった音楽で〈マカロニ・ウェスタン調〉のサウンドを創始し,その後ももっとも数多くの作品の音楽を手がけた作曲家のエンニオ・モリコーネEnnio Morricone(1928- )であり,モリコーネもその後国際的に活躍し,ハリウッドにも招かれて映画活動をつづけた。レオーネは1973年,自身が製作し,自分の助監督だったトニーノ・バレリーを監督にして,みずから生み出したマカロニ・ウェスタンをパロディ化し,さらにはその影響をうけた《ワイルドバンチ》までパロディのねたにした怪作《ミスター・ノーボディ》をつくる。この作品がいわば,レオーネ自身がこのジャンルの消滅を宣言した〈墓標〉とみなすことができる。
→西部劇
執筆者:宇田川 幸洋
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…この傾向に対してハワード・ホークス監督は《真昼の決闘》を裏返しにした《リオ・ブラボー》(1959)をつくり,ジョン・フォード監督はインディアンへの憎しみに生きる男の執念を描いた《捜索者》(1956)をへて,〈事実よりも伝説〉こそが美しかった古きよき西部の終焉(しゆうえん)を描いた《リバティ・バランスを射った男》(1962)をつくり,そしてサム・ペキンパー監督は《昼下りの決闘》(1962)で老ガンマンたちの最後の決闘を描く。古きよき西部へのノスタルジーにあふれたペキンパー監督《ワイルドバンチ》(1969)やジョージ・ロイ・ヒル監督《明日に向って撃て!》(1969)がつづくかたわら,イタリアから〈マカロニウェスタン〉(欧米では〈スパゲッティウェスタン〉)と呼ばれる残酷描写を売物にした変種の西部劇が跋扈(ばつこ)するのも,はるかなる西部の伝説が崩壊してしまった60年代である。だが,この変種もあまりに濫作されすぎて短期間で終息したものの,そこからセルジオ・レオーネ監督(《ウエスタン》1969,《夕陽のギャングたち》1970)のような逸材も生まれた。…
※「マカロニウエスタン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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