クレンペラー

百科事典マイペディア 「クレンペラー」の意味・わかりやすい解説

クレンペラー

ドイツの指揮者。ブレスラウ(現ポーランド領ブロツワフ)に生まれ,フランクフルトベルリンで音楽を学ぶ。マーラーに認められ1907年プラハのドイツ歌劇場の指揮者,次いでハンブルク歌劇場の首席指揮者に就任。以後ドイツ各地の歌劇場の音楽監督を歴任し,ベルリンのクロール歌劇場ではストラビンスキーヒンデミットワイルなど数多くの同時代の新作を手がけた。ナチス政権誕生により1933年スイスを経て米国に亡命,1939年までロサンゼルスフィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を務める。第2次大戦後はヨーロッパに戻り,ブダペスト歌劇場などを経て1959年ロンドンフィルハーモニア管弦楽団の終身首席指揮者に就任。ドイツ古典派とロマン派に重厚な名演を残した。→ツェムリンスキー
→関連項目ブンダーリヒ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クレンペラー」の意味・わかりやすい解説

クレンペラー
くれんぺらー
Otto Klemperer
(1885―1973)

ドイツの指揮者。ユダヤ系の商人の子としてブレスラウ(現ポーランドのブロツワフ)に生まれた。フランクフルト、ベルリンに学び、1907年マーラーの推薦でプラハのドイツ歌劇場の指揮者になったのを皮切りに、ドイツ各地の歌劇場指揮者を経て、28年ベルリンのクロール歌劇場音楽総監督に就任、ヒンデミット、ストラビンスキー、ヤナーチェクなどの新作を上演して注目された。33年ナチス政権によって追放され、渡米。33~39年ロサンゼルス・フィルハーモニーの常任指揮者となる。病気のため一時引退したが、第二次世界大戦後ヨーロッパ楽壇に復帰、54年にロンドンのフィルハーモニア管弦楽団常任指揮者に就任以来、71年の引退までロンドンを中心に活動した。青年時代は現代音楽を、後年ウィーン古典派とドイツ・ロマン派を得意とし、骨組みのしっかりした、スケールの大きい音楽を生み出した20世紀の名指揮者の一人。

[岩井宏之]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クレンペラー」の意味・わかりやすい解説

クレンペラー
Klemperer, Otto

[生]1885.5.14. ブレスラウ(現ポーランド,ウロツワフ)
[没]1973.7.6. チューリヒ
ドイツの指揮者。フランクフルト音楽院卒業後 H.プフィッツナー師事。プラハ,ハンブルク,ベルリンなどでオペラを指揮し名声を高めたが,1933年ナチス政権が樹立されると,アメリカに渡り,ロサンゼルス・フィルハーモニック管弦楽団の常任指揮者となり,47~50年にはブダペスト歌劇場の指揮者をつとめた。のちチューリヒに住み,ヨーロッパ各国で客演指揮。 G.マーラーをはじめ後期ロマン派音楽の指揮者として定評が高かった。

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