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ドイツ生まれの数学者。19歳のときゲッティンゲン大学へ入学。一時ミュンヘン大学で聴講したこともあるが、23歳のとき積分方程式の研究によってゲッティンゲン大学より学位を得、1910年同大学私講師、1913年、28歳でチューリヒ工科大学教授。1926年から1927年にかけてゲッティンゲン大学客員教授、1928~1929年アメリカのプリンストン大学客員教授を務めたのち、1930年ゲッティンゲン大学教授となる。しかし1933年、アメリカにプリンストン高等研究所が創立されたとき招かれてその教授となる。1951年に研究所を辞してスイスへ帰った。1955年チューリヒで死去。
ワイルの仕事は、数学基礎論、群論、微分幾何学などの純粋数学の分野から、哲学、物理学、とくに統一場理論と量子力学の分野まで、非常に広い範囲にわたっている。
とくに微分幾何学の分野へ擬似接続の考え方を導入し、いわゆる統一場理論、すなわち重力場と電磁場を統一した形で論じうるような理論をつくるために、計量テンソルの共変微分が計量テンソルそれ自身に比例するような構造をもった空間を考えた。いわゆるゲージ変換はこのなかに初めて現れた。この種の空間はワイル空間とよばれている。
[矢野健太郎]
ドイツ生まれのアメリカの作曲家。3月2日、ユダヤ教会カントルの息子としてデッサウに生まれる。ベルリン芸術アカデミーでブゾーニに学ぶ。二曲の交響曲、一曲のバイオリン協奏曲、一曲のチェロ・ソナタのほかはほとんど器楽曲には手を染めず、自ら語るように、その一生を「時代の演劇とより高度な音楽形式を結び付ける」ことに捧(ささ)げた。初めは『立役者』(1926)、『皇帝は写真をとらせる』(1928)でゲオルク・カイザーと組んだが、ブレヒトとの仕事『三文オペラ』(1928)、『マハゴニー市の興亡』(1930)などにより、その名声を決定づけた。とくに『三文オペラ』は「メッキ・メッサー」のメロディとともに世界的に大ヒットしたが、ナチス台頭により1933年に亡命、パリに滞在したのち、35年からアメリカに定住、43年には帰化した。ブロードウェーの作曲家として「セプテンバー・ソング」を含む『ニッカーボッカー・ホリデー』(1938)をはじめ、『レディ・イン・ザ・ダーク』(1941)、『ラブ・ライフ』(1948)などを発表したが、50年4月3日ニューヨークに没した。
[細川周平]
『ワイル・G・グナー著、岩淵達治訳『ヴァイルとブレヒト――時代を映す音楽劇』(1986・音楽之友社)』
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ドイツの数学者,物理学者。ホルシュタイン地方のエルムスホルンに生まれ,近くの町アルトナのギムナジウムを経て1904年にゲッティンゲン大学へ進み,08年に卒業,引き続き無給講師となる。1911年から12年にまたがる冬季学期の講義では,ワイヤーシュトラス流の関数論とリーマン流の関数論とを融合して,新しい分野を開拓した。これは《リーマン面の概念》という名で13年に公刊された。この年にチューリヒ工科大学の教授になった。このころにはA.アインシュタインの相対性理論に関心をもち,重力場と電磁場とを統合した統一場の理論を発表,それを示したのが18年の著書《空間,時間,物質》である。26年にゲッティンゲン大学の教授になった。このときには群の表現論に関心を寄せていた。連続群を行列で表現することについての一般論を樹立し,量子論の研究に貢献した。このことをまとめたものが《群論と量子力学》(1928)である。しかし,ヒトラーの政策に耐えられなくなり,アメリカのプリンストン高等研究所からの招聘(しようへい)を機に1933年にアメリカへ渡った。息子のヨアヒムJoachimと有理型曲線を研究し,その成果をまとめたものが《有理型関数と解析曲線》(1943)で,これは数学界に新風を吹き込んだ。
執筆者:小堀 憲
ユダヤ系ドイツ人の作曲家。ベルリン高等音楽学校でブゾーニに師事。1920年代前半から,前衛的な作風をもった若手として知られるが,その名声はブレヒトとの共同作業による《三文オペラ》(1928)によって確定した。また,同じコンビによる《マハゴニー市の興亡》(1930)は賛否両論の話題作であった。33年パリに亡命,35年ニューヨークに移り定住。ブロードウェーの作曲家として,《ジョニー・ジョンソン》(1936),《ニッカボッカ・ホリデー》(1938。この中で歌われた《セプテンバー・ソング》がヒットした)など,約10曲のミュージカルを残す。本質的に音楽劇作曲家で,ブレヒトのほかオペラではG.カイザー,ミュージカルではM.アンダーソンらの優れた台本を得る。芸術音楽と大衆音楽の両者から霊感を受けている。
執筆者:細川 周平
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…《詩人の血》《自由を我等に》など),F.ホレンダー(1896‐1976。《嘆きの天使》など),K.ワイル(《三文オペラ》《真人間》など),ショスタコービチ(《呼応計画》),H.アイスラー(《新しい大地》《外人部隊》)らが活躍した。さらにイギリスのドキュメンタリー映画の分野では,カバルカンティと組んだE.B.ブリテン(《コールフェース》など)をはじめ,A.ローソーン(1905‐71。…
…同年8月ベルリンのシッフバウアー劇場で初演されると爆発的な成功を収め,以後世界各地で上演された。1728年にロンドンで上演されたJ.ゲイ作のバラッド・オペラ《乞食オペラ》に素材を借りたブレヒトの台本に,K.ワイルが9人のジャズ・バンドを用い,ジャズの手法を効果的に使った音楽をつけた。《殺人物語歌Moritat》をはじめ,多くの有名な歌を含んでいる。…
…これはミシシッピ川を往来するショーボートをおもな舞台にして,一座の座長の娘と流れ者の賭博師とのロマンスを描いたものであるが,同時に,人種差別のせいで不幸になる一座の花形女優の物語をも扱い,黒人がおおぜい登場する点,また,個々のナンバーがプロットと緊密につながっている点で,画期的な作品だった。カーンにやや遅れて現れ,第2次大戦前の時期に,あるいは戦後まで,活躍したおもな作曲者は,I.バーリン,G.ガーシュウィン,K.ワイル,C.ポーター,R.ロジャーズなどである。バーリンは詞も書き,最初はおもにレビューの仕事をして無数のヒット・ソングを生んだが,射撃が巧みな娘を主人公にした野趣と生気の充満する《アニーよ銃をとれ》(1946)によって,本格的なミュージカルでも優れた業績を残した。…
…この意味で一般相対性理論は重力場およびその相互作用を時空の幾何学に帰着させたということができる。一般相対性理論が提出された直後の1918年,H.ワイルは,重力場とともに電磁場をも一つの幾何学から導く理論を発表した。このような,重力場だけでなく電磁場も空間の性質に帰着させる考え方を統一場理論と呼ぶ。…
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