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チェコスロバキアの作曲家。7月3日モラビア地方(現チェコ)のフクバルディに生まれる。11歳で生家を出てモラビアの中心都市ブルノの修道院の聖歌隊に入り、1872年同地の師範学校を卒業。その後プラハのオルガン学校、ライプツィヒ音楽院、ウィーン音楽院に学ぶ。1881年ブルノにオルガン学校を創設して校長になったのをはじめ、1881~1888年フィルハーモニー協会の指揮者を務め、1919年新設のプラハ音楽院ブルノ分校で作曲を教えるなど、モラビア地方の音楽文化発展に貢献。早くから創作活動を行っていたが、作曲家として名声が高まったのは1904年のオペラ『イエヌーファ』初演以降で、1916年のプラハ初演とその2年後のウィーン初演でようやく国際的に知られるようになった。それからの晩年10年間が創作の最盛期で、オペラ『カーチャ・カバノバー』(1919~1921)、『りこうな女狐(めぎつね)の物語』(1921~1923)など大作を次々に生み出したのち、1928年8月12日オストラバで没した。
作風としては、若いころから強い関心を抱いていたモラビア民謡の研究成果に基づいて、民族的要素を単に異国趣味的装飾としてではなく、西欧近代音楽の語法と融合し発展させた点で、きわめて独創的なものをもっている。作品はほとんどすべての分野にわたり、民謡編曲も多い。重要なのは九つのオペラで、話しことばの抑揚を本格的に研究して独自の様式をつくりあげており、前記の三作のほか最晩年の『死の家より』(1927~1928)が優れている。宗教作品のなかでは古代スラブ語のテキストによる『グラゴル・ミサ』(1926)が有名。器楽曲ではスメタナやドボルザークの影響に加えて後年印象主義的傾向がみられるが、とくに管弦楽曲『タラス・ブーリバ』(1915~1918)と『シンフォニエッタ』(1926)が全作品中もっとも親しまれている。
[益山典子]
『I・ホースブルグ著、和田旦・加藤弘和訳『ヤナーチェク――人と作品』(1986・泰流社)』
チェコの作曲家。モラビア北東部の一小村の小学校教員の家に生まれ,11歳の年から生涯の大部分をモラビアの中心都市ブルノで過ごした。1881年ブルノ・オルガン学校の創立に参画してその校長となり,1919年にはプラハ音楽院のブルノ分校を発足させて,そのマスター・クラスで作曲を教えるなど,モラビア文化の発展に尽くしたが,作曲の基礎になった東モラビアの民俗音楽の特異性--スラブ系の特徴に,ハンガリーからはいった東洋的な特徴が混じり合い,われわれ東洋人にはむしろ親しみやすい--も手伝って,自国でも認められるのが遅れた。いまでこそ《イェヌーファ》(1903),《カーチャ・カバノバー》(1921),《死者の家》(1928)のようなリアリズム劇の系統のオペラも,また,人生への鋭い風刺や仏教的な輪廻の思想を織り込んだオペラ《利口な女狐の物語》(1923)も,日本を含めて世界各国のことばに訳されて上演されるようになっているが,ブルノでは完成の翌年初演されて名声を確立した《イェヌーファ》も,首都プラハの国民劇場が取り上げるまでには,さらに12年間も待たねばならなかった。オペラ以外の声楽曲には,ミサ曲の形を借りた人間賛歌ともいうべき《グラゴル・ミサ》(1926)や,恥も外聞も捨てて,人間として正直に生きた若者の姿を,大胆な愛欲の描写も交えて描いた室内カンタータふうの連作歌曲《消えた男の日記》(1919)のような傑作があり,初期の合唱曲を取り上げるアマチュア合唱団なども増えつつある。そのほか,トランペットを12本も使った《シンフォニエッタ》(1926),管弦楽のための狂詩曲《タラス・ブーリバ》(1918),室内楽曲などがある。晩年に近づくほど形式も内容も独創的になり,最後の約10年間が作曲家としての最盛期となった原動力に,38歳下の若い人妻カミラ・シュテスロバーとの恋があったことも見のがせない。
執筆者:佐川 吉男
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…1918年から92年まで続いた中欧の共和国。国名通称はチェコ語,スロバキア語ともČeskoslovensko。1920‐38年,1945‐60年の正式国名は〈チェコスロバキア共和国Českoslovká republika〉。1948年以後は社会主義体制をとり,60年からの正式国名は〈チェコスロバキア社会主義共和国Československá Socialistická republika〉。1969年よりチェコ社会主義共和国とスロバキア社会主義共和国の連邦制に移行したが,89年の〈東欧革命〉の進行過程で両共和国で連邦制の見直しが図られ,正式国名を〈チェコおよびスロバキア連邦共和国Česká a Slovenská Federativní Republika〉に変更した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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