クロンカイト(読み)くろんかいと(英語表記)Walter Leland Cronkite, Jr.

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クロンカイト」の意味・わかりやすい解説

クロンカイト
くろんかいと
Walter Leland Cronkite, Jr.
(1916―2009)

アメリカのニュース・キャスターミズーリ州生まれ。テキサス大学在学中から報道界で働く。1962年4月以来1981年3月まで19年間CBSテレビの「イブニング・ニュース」のキャスターを務め、「アメリカでもっとも信頼できる人物」という世評を獲得した。1968年、アメリカ軍のベトナム撤退を主張、その後のアメリカ政府のベトナム政策に大きな影響を与え、1977年には、サダトエジプト大統領、ベギンイスラエル首相と会見し、中東和平の橋渡しをするなど、「アメリカの良識」を代表するジャーナリストとして活躍した。テレビのアカデミー賞といわれるエミー賞特別賞を受賞(1979)。

[伊豫田康弘]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クロンカイト」の意味・わかりやすい解説

クロンカイト
Cronkite, Walter

[生]1916.11.4. ミズーリセントジョーゼフ
[没]2009.7.17. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国のジャーナリスト。フルネーム Walter Leland Cronkite, Jr.。テレビのニュース報道の草分け。「アメリカで最も信頼できる人物」と呼ばれた。テキサス大学で政治学を学び,地元紙の記者を経て UP通信社に入社。第2次世界大戦中は従軍記者としてヨーロッパ戦線を中心に取材,戦後はモスクワ支局長を務めた。1950年に CBSに引き抜かれ,『CBSイブニングニュース』のアンカーマンとしてジョン・F.ケネディ大統領暗殺(1963),アポロ11号月面着陸(1969),ウォーターゲート事件(1972~75),イスラエルとエジプトの和平交渉(1977~78)などを報じた。1968年,ベトナム戦争継続に反対を表明,大きな影響を与えた。1996年に回想録『クロンカイトの世界』A Reporter's Life刊行。1981年,大統領自由勲章受章。

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百科事典マイペディア 「クロンカイト」の意味・わかりやすい解説

クロンカイト

アメリカのジャーナリスト。テキサス大学中退。地方新聞の記者,ラジオ局のレポーターを経て,1937年にUP通信に入社。第二次大戦でヨーロッパ戦線を取材,ノルマンディー上陸作戦バルジの闘いなどを報道した。戦後にニュルンベルク裁判も取材,冷戦開始の時期にはモスクワ特派員として活躍した。1950年,CBSに入社,1962年からニュース番組《CBSイブニング・ニュース》のニュースアンカーマンを務め,アメリカTVジャーナリズムを代表する存在として視聴者の信頼を集めた。その報道姿勢は中道リベラルで,ベトナム戦争の後期には戦争継続に反対して交渉による停戦を訴え,アメリカ世論に大きな影響を与えた。番組の終わりの〈And that's the way it is.(では,今日はこんなところです)〉という言い回しを,筑紫哲也も真似たといわれる。1981年同番組を降板し,以後は特派員や執筆活動を継続しながら,後進ジャーナリストの育成に貢献した。

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