改訂新版 世界大百科事典 「クールランド」の意味・わかりやすい解説
クールランド
Courland
バルト海の東岸で,現在のラトビア共和国のリガ湾南岸・南西岸を占める地方の古名。地名はラトビア系のクール人に由来。ラトビア名はクールゼメKurzeme。13世紀はじめドイツ人の剣友騎士団の征服と布教をうけ,1237年からドイツ騎士修道会に属した。リボニア戦争中の1562年,リボニアの騎士団長ゴットハルト・ケトラーGotthard Kettler(1517-87)がポーランド王を封主とする世俗国家クールランド公国(首都ミタウ,現,エルガバ)を建てた。この国は君主権を大幅に制限した1617年の《クールランド法典》に基づき,ポーランド風の貴族共和国になり,ドイツ系の地主貴族が農民(おもにラトビア系)に対して絶対権を握り,賦役を課して輸出用穀物を生産した。17世紀中葉最盛期を迎えたが,何回かロシアとスウェーデンの戦争の戦禍をうけ,その間にロシアの勢力がのびて,1710年アンナ・イワノブナを公妃に迎え,37年ケトラー家の最後の公の死後,アンナの寵臣ビロンが公になった。95年の第3次ポーランド分割でロシアの圧力が強まり,国会がロシアの主権を認めてクールランドはロシア帝国の一県になったが,ドイツ人地主の支配はなお続き,1817年には彼らの要望で土地抜きの農奴解放が行われた。19世紀後半ロシア化政策がこの県にも及んだが,ロシア革命後のラトビア共和国成立とともにその一部となった。
執筆者:鳥山 成人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報