日本大百科全書(ニッポニカ) 「グレープナー」の意味・わかりやすい解説
グレープナー
ぐれーぷなー
Fritz Graebner
(1877―1934)
ドイツの民族学者。ラッツェルやL・フロベニウスが基礎を築いた文化圏の考え方を、アフリカ研究のアンカーマンBernhard Ankermann(1859―1943)とともにさらに発展させた。その研究はまず太平洋地域の諸文化について進められ、『オセアニアにおける文化圏と文化層』(1905)では六つの圏を設定した。ついで、とくに『メラネシアの弓文化』(1909)について、世界の他の地域にもこの文化圏が広がっていることを確かめようとした。その際には、遠く隔たった二つの文化間の類似を、その文化要素の間に目的や素材の性質によらない形態上の類似が認められる場合(形態規準)、さらに多数の相互に機能的関連のない文化要素についても同じような類似がみいだされるとき(量規準)、起源が共通であるか、一方から他方への伝播(でんぱ)という関係にあると推論するのである。この研究方法は『民族学方法論』(1911)に詳しく示され、のちにW・シュミットなどが文化圏を文化層という時間的前後関係にして把握し、初期の人類文化史復原の壮大な図式を描く理論的基礎となった。その他の主要な著作には『民族学』(1923)、『原始人の世界像』(1924)などがある。グレープナーは現地調査をすることがなく、研究の場はベルリン、のちにはケルンの博物館であったので、物質文化を重要な研究上の手掛りとし、それを該博な知識で補強していた。晩年ケルン大学の名誉教授になったが、病気のため2年ほどで退官し、ベルリンに戻った。
[小川正恭 2018年11月19日]