日本大百科全書(ニッポニカ) 「フロベニウス」の意味・わかりやすい解説
フロベニウス(Leo Frobenius)
ふろべにうす
Leo Frobenius
(1873―1938)
ドイツの民族学者。文化圏説を創始し、文化形態学を生み出した。ベルリン生まれ。彼の専門地域はアフリカで、文献に基づく理論的研究とともに、1904年以来1935年まで12回にわたりアフリカ各地の現地調査を行い、1933年に大著『アフリカ文化史』Kulturgeschichte Afrikasを出した。この著書でアフリカの問題だけでなく、しばしば人類文化史を論じているように、彼の関心は全世界に及び、また神話、世界観、物質文化などの分野での研究も重要である。『太陽神の時代』Das Zeitalter des Sonnengottes(1904)においては、初期人類の精神史を論じ、狩猟民のアニマリズム、栽培民のマニズムに続く、偉大な神話の時代である「太陽神の時代(ソラリズム)」を設定した。彼の文化史の方法論は、民族誌的資料自体から出発することや、文化要素の分布図から読み取ることを特徴とし、文化圏説を設定するのには、個々の文化要素間の類似だけでなく、文化複合ないし文化圏全体の類似を重視した。それゆえ、全体的であり、かつ構造的連関性をもつものと評価される。彼は、1920年に文化形態学研究所をミュンヘンに設立し、それを1925年にフランクフルトに移し、フランクフルト大学付属とするとともに、自ら同大学の非常勤講師、名誉教授となり、ドイツ民族学のフランクフルト学派を生み出した。
[田村克己 2018年12月13日]
『大林太良著『フロベニウスの理論』(『現代文化人類学のエッセンス』所収・1978・ぺりかん社)』
フロベニウス(Georg Ferdinand Frobenius)
ふろべにうす
Georg Ferdinand Frobenius
(1849―1917)
ドイツの数学者。ベルリンに生まれる。1867年ゲッティンゲン大学に入学、その後ベルリン大学に転じて数学を専攻、1870年学位を得た。1874年ベルリン大学助教授、ついでチューリヒ工業大学に移り、1892年ベルリン大学教授になり、終生その職にあった。19世紀後半の代数学の発展、とくにその抽象化と群論の進展の時期にあたって、その重要な推進者の一人となり、群の指標の概念を導入し、有限群の表現論を実質的に完成した。代数的整数論における、いわゆる「フロベニウス置換」の重要な指摘を行い、またフックスの微分方程式の理論へも貢献した。
[藤村 淳 2018年10月19日]