翻訳|Melanesia
太平洋南西部、ほぼ180度経線によって東のポリネシアと分かたれ、赤道によって北のミクロネシアとくぎられる島々。オーストラリアの北東部、パプア・ニューギニア、ビスマーク諸島からソロモン諸島、ニュー・ヘブリデス諸島(バヌアツ)、ニュー・カレドニア島、フィジー諸島など、52万5475平方キロメートルの陸地面積を有し、そこに200余の言語グループがあるといわれる。メラネシアという語は「黒い島々」という意味で、住民の黒褐色の皮膚に由来するとされるが、1832年フランスの航海者ダルビルがこの語を最初に使った。現在ではポリネシア、ミクロネシアという語とともに太平洋の島々を三分する地域名称として用いられている。なお、パプア・ニューギニアが準大陸ともいうべき大きな陸地であるので、最近ではこれとその属島にあたるビスマーク諸島、トレス海峡諸島をメラネシアから省いてパプア・ニューギニアという一つの地域として考えることが多い。
環太平洋造山帯の西縁にあたり、火山島が多く、かなりの高度を有する山地が熱帯雨林に覆われて開発が困難な部分が多いが、一方では各種の鉱物資源に恵まれている。山麓(さんろく)部や平野部は植民地時代にヨーロッパの宗主国がプランテーションを開いてココナッツ、バナナ、コーヒー、カカオなどが栽培され、コプラをはじめとするこれら商品作物が主要生産物となっているが、先住民社会ではタロイモ、ヤムイモなどの根菜類とサゴヤシとが食用植物として利用されている。イギリス、フランスなどによる領有時代から、激戦場となった第二次世界大戦の時代を経て、1970年代から独立の時代に入り、1970年フィジー、1975年パプア・ニューギニア、1978年ソロモン諸島、1980年バヌアツが相次いで独立した。
[大島襄二]
人種的にみると、大きく(1)ピグミー、(2)パプア人、(3)狭義のメラネシア人に三区分される。普通、ピグミーといえば、東南アジアのネグリトのように平均身長150センチメートル未満の狩猟・採集民をさす。しかしニューギニア中央高地のピグミーはこれと異なる形質を多くもち、さらにタピロ、ラム、ペセチェムなどのピグミーは焼畑農耕民である。また周辺のパプア人に比べて低身長であるが、その差は連続的である。ニューギニア中央高地以外に、ニュー・ブリテン島、ブーゲンビル島、マレクラ島などにも低身長の集団が居住している。こうしたピグミーの由来については、オセアニアにおける最初の移住者であったが、のちにパプア人、メラネシア人の進出で奥地へ追いやられたとする説と、熱帯の低栄養条件に適応して低身長になったとする説とがある。パプア人と狭義のメラネシア人との形質的差異はそれほど明確ではない。パプア人は、ピグミーの居住地を除くニューギニア島の大半の地域に居住している。皮膚は暗褐色から黒色で、長頭、渦状毛、鉤鼻(かぎばな)、突出した顎(あご)などの特徴をもつ。メラネシア人は、おもにニューギニア島の北岸とメラネシア地域の島々、とくに海岸部に居住し、中頭、波状毛、広鼻で、突顎(とつがく)はほとんど認められない。
パプア人の言語はほとんど非オーストロネシア語(パプア語)で、メラネシア人の言語はオーストロネシア語である。ただし、パプア人でオーストロネシア語を、メラネシア人でパプア語を話す場合もある。このように、メラネシアの人種、民族、言語は非常に錯綜(さくそう)している。しかし少なくとも、パプア語族はオーストロネシア語族より文化的に古い時代に属すると考えてよい。メラネシアへの移住は、ソロモン諸島の遺跡から読み取って紀元前2万年前にさかのぼる。狭義のメラネシア人の由来を知るうえでは、メラネシアから西部ポリネシアにかけ紀元前1700年ころ~紀元数百年まで存在したラピタ式とよばれる土器文化の編年が重要である。
メラネシアでは、掘棒による焼畑農耕が行われてきた。タロイモ、ヤムイモ、バナナなどの根栽作物が栽培される。低湿地ではサゴヤシデンプンの採集が、ニューギニア高地ではサツマイモ栽培が重要である。家畜としては、ブタ、ニワトリ、イヌがある。ブタは食用とともに儀礼の供物や財産として飼育される。沿岸や島嶼(とうしょ)部では漁労が、内陸や山岳部では弓矢による狩猟が重要である。嗜好(しこう)としてのビンロウジ噛(か)みが広く分布する。
メラネシアでは、数百人規模の村落社会が卓越し、社会の階層化は未発達である。ビッグ・マンとよばれる村の首長(しゅちょう)は世襲制でなく社会的名声により選ばれる。メラネシアでは、マナとよばれる超自然力に対する信仰が顕著であり、かつての首狩りや食人風習も相手のマナ獲得が目的であった。年齢階梯(かいてい)制、成人式も一般的で、さまざまな儀礼は秘密結社や男子集会所で行われる。
ニューギニア島では、仮面・神像芸術の発達が著しい。祖先霊崇拝も広く分布し、頭蓋(とうがい)保存の習慣もある。物々交換、儀礼的贈答、貝製・イルカの歯製・羽毛製の貨幣などによる交易活動が盛んで、とくにニューギニア島のマッシム地域のクラ交易は有名である。西欧文明との接触により、富の獲得と白人支配終焉(しゅうえん)を願う千年王国運動が多発した。ソロモン諸島のマアシナ・ルール運動、バヌアツのジョン・フルム運動は著名。メラネシア地域の多くは1970~1980年代に独立を達成し、新興国家として近代化の道を歩み始めた。
[秋道智彌]
『畑中幸子著『われらチンブー ニューギニア高地人の生命力』(1974・三笠書房)』▽『石川栄吉著『南太平洋――民族学的研究』(1979・角川書店)』▽『ピーター・ベルウッド著、植木武・服部研二訳『太平洋――東南アジア・オセアニアの人類史』(1981・法政大学出版局)』▽『ロジャー・M・キージング著、青柳まちこ監訳『マライタのエロタ老人――ソロモン諸島でのフィールド・ノート』(1985・ホルト・サウンダース・ジャパン)』▽『大塚柳太郎・片山一道・印東道子編『オセアニア(1) 島嶼に生きる』、須藤健一・秋道智彌・崎山理編『オセアニア(2) 伝統に生きる』、清水昭俊・吉岡政徳編『オセアニア(3) 近代に生きる』(1993・東京大学出版会)』▽『秋道智彌・関根久雄・田井竜一編『ソロモン諸島の生活誌――文化・歴史・社会』(1996・明石書店)』
南太平洋の島々のうち,ほぼ180度の経線以西の島々の総称。ギリシア語で〈黒い島々〉の意。太平洋の島嶼群での地理的区分だけでなく,人々の皮膚の色により区別された民族領域でもある。西端のニューギニアにはじまってソロモン諸島,ニューヘブリデス諸島,フィジー諸島,ニューカレドニア島と南東の方向に散在する島々である。フィジー諸島は地理的にも文化的にもメラネシアとポリネシアの接点である。陸地総面積は約95万9000km2で,そのうちニューギニア島が約77万1900km2,残りの大部分は25の大きな島々が占めている。島はサンゴ礁もあれば,熱帯雨林,山岳地帯をもつ火山島など,さまざまである。気候は西の方にいくにしたがって東南アジアの気候に似るが,島嶼群は海洋の影響を強くうけている。全体的には湿潤熱帯で,人間の活動を鈍らせる。12~3月に最大雨量が,5~8月に最小雨量が記録される。雨量の年平均は2500mmであるが,ところによって1000mmから6000mmの大差がある。ニューギニア島南部,ニューカレドニア島中部の南西斜面など比較的乾燥しているところはサバンナになっている。気温は最高気温が平均32℃,最低気温が平均14℃であるが,低地では年中変化がないのに比べて,高地では年較差よりも日較差の方が大きい。メラネシア人は根茎類(タロイモ,サツマイモ,キャッサバ,ヤムイモなど)の栽培を中心とする農耕民で,種子作物の栽培を中心とする隣接の東南アジアの人々や,狩猟や採集に生計を依存しているオーストラリアの先住民(アボリジニー)とは違っている。根茎類以外にもパンノキの実,ヤシの実,パンダヌスの実,バナナ,サゴヤシのデンプンが重要な食糧である。動物群は東南アジア大陸とはほとんど関係がないが,オーストラリアとの類似がニューギニア島で多くみられる。犬と豚は人によりもたらされたといわれている。ニューギニア島は両生類,爬虫類,鳥類が豊富で,ゴクラクチョウ,ワニなど他島に生息しないものもいる。
メラネシアは19世紀以来,イギリス,フランス,オランダ,オーストラリアに領有されてきたが,ニューカレドニア島(フランス領),ニューギニア島西部(オランダ領を経てインドネシア領)を除いて独立した。1970年にフィジーが独立したのを皮切りに,75年にパプア・ニューギニア,78年にソロモン諸島,80年にバヌアツ(ニューヘブリデス諸島)がメラネシア人国家として誕生した。パプア・ニューギニアは人口440万(1996)で,領土とともに人口も群を抜いている。ポリネシアやミクロネシアの島々の多くが陸地の小面積のゆえに資源や産業的な価値が乏しいのに反し,メラネシアは木材,銅,ニッケル,金などの資源があり,開発が比較的進んでいる。そのほかにヤシ油,茶,コーヒー,砂糖など農産物の輸出も増加の一途をたどっている。交通網および情報網の発達は遅れており,内陸部への道路建設は,換金作物の導入のみならず近代化を促進させるため急がれている。また沿海航路による海上輸送の発達および島嶼間の交通手段の確立が目ざされている。ニューギニアでは航空網が発達している。
執筆者:畑中 幸子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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太平洋西部のほぼ180度経線の西側,赤道の南側にある島々の総称。ポリネシア,ミクロネシアとともに太平洋の3区分の一つ。ギリシア語で「黒い島々」を意味する。黒は住民の肌の色とも,島の土壌の色ともいわれる。先住民は焼畑農耕を主たる生業としており,ポリネシアにおけるような首長制はみられず,社会の規模も大きくない。19世紀にヨーロッパと接触して以来,イギリス,フランス,オランダ,オーストラリアに分割されて領有されてきた。1970年にフィジー,75年にパプアニューギニア,78年にソロモン諸島,80年にヴァヌアツが独立している。民族構成の多様さ,歴史的経緯などからフィジー,パプアニューギニア,ソロモン諸島,ニューカレドニアでは,民族紛争が頻発している。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…残りの数千を数える島々の総面積はわずか18万km2にすぎない。 大陸を除いたオセアニアの島々の世界は,通常地理学的および人類学的観点からメラネシア,ポリネシア,ミクロネシアの3地域に区分される。メラネシア(ギリシア語で〈黒い島々〉の意。…
※「メラネシア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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