コプト(読み)こぷと(英語表記)Copts

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コプト」の意味・わかりやすい解説

コプト
こぷと
Copts

エジプトの土着キリスト教徒。この用語は古代エジプト語からの数次にわたる変化から生まれた。古代エジプトの都である下(しも)エジプトのメンフィスは「ヒクプタハ」(プタハ神の館)ともよばれていた。紀元前7世紀からエジプトに入植したギリシア人は、これを「アイギプトス」とギリシア化し、この呼称で全エジプトをさすことにした(今日のエジプトの呼称はこれに由来する)。ついで、この名詞形容詞として「アイギプティオス」が生まれ、これは「エジプト人」をさすことばとなった。紀元後640年にエジプトを征服したアラブ人はこれをアラブ化して「キブト」とした。やがて、エジプト人のイスラム化が進むにつれて、イスラム化しないエジプト人、すなわち、土着キリスト教を信じ続けるエジプト人のほうだけをキブトとよぶようになった。ついで、この呼称はヨーロッパ人の用語に入り、こんどはコプトということばに変わり、これが世界に流布していった。

 エジプトのキリスト教(コプト教会)の歴史は古く、1世紀中葉の聖マルコのエジプト布教に始まるとされている。前30年にエジプト王国が滅びてローマ領となったとき以来、古代の多神教は衰えていたが、古代宗教のなかのオシリスイシスホルスの三神信仰は、キリスト教への接近を容易にする役割を果たした。しかし、やがてコプト教会は独自の教義(単性論という)を発展させ、451年のカルケドン公会議で異端とされ、そのときから孤立の道を歩んだ。もっとも、ナイル川流域では勢力を伸ばし、エジプトの南の地ヌビアは6世紀にキリスト教化された。その遺跡は1960年代のヌビア遺跡救済運動の発掘の際に華やかによみがえった。隠遁(いんとん)修行の修道院、コプト教会の建築・装飾、コプト織をはじめとする工芸、学芸文書(コプト・パピルス)などはコプト教会の貢献である。

 コプト教徒は民族的に古代エジプト人の直系であるが、その言語もまた古代エジプト語の直系である。古代エジプト語は子音のみを文字表記していたので、コプト教徒はすべての音を文字表記するという考えから独自のアルファベットをつくり、いくつかの文字はギリシア文字から借用した。こうして3世紀にコプト語コプト文字が成立し、『旧約聖書』と福音(ふくいん)書がコプト語に訳された。アラブの征服とともにコプト語は衰え、16世紀に日常生活からまったく消えた。19世紀にフランスシャンポリオンは、コプト語の研究からヒエログリフを解読した。

[酒井傳六]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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