改訂新版 世界大百科事典 「サヤーサン」の意味・わかりやすい解説
サヤーサン
Saya San
生没年:1876-1931
ビルマ(現,ミャンマー)南部のターヤーワディ地方を中心に発生した大規模な農民一揆の指導者。シュウェボー県ダバイン郡出身。モールメイン近郊で占星師をしていたころ,ビルマ団体総評議会に入会,評議会がチッフライン派とソーティン派とに分裂した後は後者に属し,1925年組織部長となる。人頭税や負債で苦しむ農民の窮状をみて28年評議会を脱退,秘密結社ガロン党を結成して納税拒否運動に乗り出す。30年10月28日ターヤーワディ県内の山中でスパンナカ・ガルラ・ラージャ(金翅鳥・迦楼羅王)の称号で即位。英領ビルマ臨時代理総督に対する納税延期,減税の嘆願が拒絶された翌日の12月22日,農民3000名を率いて蜂起する。一揆は翌年1月ヤメティン,ピャーポンに飛火し,2月にはバテイン(バセイン),ヒンダタ,プローム,タイェッミョーなど13県に波及する。しかしイギリス人の駆逐を意味する神鳥ガルラの入墨をし,竹槍で武装しただけの農民たちは,武装警官8100名と英印軍の7個大隊3640名によって1万名が殺され,9000名が逮捕される。逮捕された農民のうち1000名が有罪判決を受け,うち128名が死刑,270名が終身刑を宣告される。マンダレー経由でシャン州へ逃亡したサヤーサンは31年8月2日逮捕され,11月28日絞首刑に処された。農民の組織的抵抗も32年4月には終息した。
執筆者:大野 徹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報