サンローラン(読み)さんろーらん(英語表記)Yves Saint-Laurent

デジタル大辞泉 「サンローラン」の意味・読み・例文・類語

サン‐ローラン(Yves Saint-Laurent)

[1936~2008]フランスの服飾デザイナークリスチャン=ディオールの主任デザイナーを経て1962年に自身のブランドを設立し、世界のモード界をリードした。映画「昼顔」などで、女優カトリーヌ=ドヌーブの衣装を担当したことでも知られる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サンローラン」の意味・わかりやすい解説

サン・ローラン(Yves Saint-Laurent)
さんろーらん
Yves Saint-Laurent
(1936―2008)

フランスの服飾デザイナー。アルジェリアオランに生まれる。17歳のとき国際羊毛事務局主催のデザイン・コンテストで優勝。翌年『ヴォーグ』の編集者から紹介されたディオールに即刻採用され同店で働く。ディオールの急死により主任デザイナーの地位につき、「トラペーズ(台型)・ライン」で大成功を収めた。兵役ののち、1962年に彼自身の店を開く。以後、アートをファッションに取り入れたモンドリアン・ドレスやポップ・アート・ドレス、シースルー・ルック、女性のパンツ・ルックが市民権を得ることになったシティ・パンツ、男女の衣服の垣根を取り払ったサファリ・ルックやブレザー・ルック、バレエ・リュスに影響を受けたコスチューム・ルックなど話題作を次々に発表し、エレガンスに新しい解釈を与えた。1966年にはファッションの大衆化をいち早く見通し、既製服店「サン・ローラン・リブゴーシュ」を開店。彼は独創的なファッションの創造者というより、時代が求めるファッションの方向性を的確にとらえる卓抜した才能をもち、パリ・オートクチュールを代表する存在というだけでなく、20世紀のファッションに大きな功績を残している。2002年引退を表明した。

深井晃子

『アリス・ローソーン著、深井晃子監訳『イヴ・サンローラン 喝采と孤独の間で』(2000・日之出出版)』『川島ルミ子著『Yves Saint Laurent The begining of a legend 1936~2000』(2000・アルク)』


サン・ローラン(Louis Stephen Saint-Laurent)
さんろーらん
Louis Stephen Saint-Laurent
(1882―1973)

カナダ政治家ケベック州生まれ。ラバル大学で法律を学び、1905年弁護士となる。1914年ラバル大学教授。W・L・M・キング内閣の法相検事総長(1941~1946)、外相(1946~1948)。キングの後を受けて自由党党首となり、首相(1948~1957)。フランス系としては2人目の首相である。国連をはじめ国際社会におけるカナダの地位確立に尽力し、カナダのイギリスからの独立を法的に完成させるために努力した。

[越智道雄]

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改訂新版 世界大百科事典 「サンローラン」の意味・わかりやすい解説

サン・ローラン
Yves Saint-Laurent
生没年:1936-2008

フランスのファッション・デザイナー。アルジェリアのオランに生まれ,1954年にパリに出てディオールの店に入った。57年にディオールが急死すると,その店の中心デザイナーとして一挙に世に知られ,58年にトラペーズ(台形)・ラインをヒットさせた。しかし兵役にとられているうちに,マルク・ボアンがディオールの店の彼の地位を奪ってしまったため,62年に独立,自分のオート・クチュール店をもった。60年代の若者のファッションに注目し,ビートルズ世代のデザインを取り込んだ。ブーツ・ファッション,モンドリアン・ルックなどを発表するとともに,若者の集まるパリ左岸に進出し,プレタポルテ(既製服)に力を入れるようになった。香水からハンドバッグまであらゆる分野に手を広げ,YSL帝国といわれるファッション企業を築き上げ,最も人気のあるデザイナーの一人となった。ディオールまでの古典的なパリのオート・クチュールを60年代のポップ・カルチャーの中で,新しい方向に向けるのに成功したといえる。
執筆者:


サン・ローラン
Louis Stephen Saint Laurent
生没年:1882-1973

カナダの政治家。自由党に属し,フランス系2人目の首相となる。在職1948-57年。大学教授から転身して1941年W.L.M.キング内閣の法相,ついで46年外相。キングを助けて49年のニューファンドランド州のカナダ加入や,同年のイギリス領北アメリカ法改正に尽力した。同法の改正によって,イギリス枢密院に代わってカナダ最高裁がカナダの終審裁判所となった。彼の首相時代は第2次大戦後のカナダの黄金期として記憶される。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サンローラン」の意味・わかりやすい解説

サン=ローラン
Saint Laurent, Yves

[生]1936.8.1. アルジェリア,オラン
[没]2008.6.1. フランス,パリ
フランスの服飾デザイナー。 17歳のとき,才能を認められ,C.ディオールのもとで活躍。 1957年ディオールの死後,21歳でその後継者となり,コレクションで成功を収め続けたが,58年に発表したトラペーズラインは特に有名である。 60年アルジェリアに出征し,仕事は中断された。 62年帰国後,彼自身のクチュールハウスを開き,その新鮮なアイディアと特異な創造力にあふれた作品によってファッション界をリードし,若者の人気を集めた。特に兵隊,労働者,学生,狩人などのスタイルにヒントを得た作品のなかで,カジュアルな性格とオートクチュールの伝統との調和をみせている点が注目される。

サン=ローラン
Saint-Laurent, Louis (Stephen)

[生]1882.2.1. ケベック,コンプトン
[没]1973.7.25. ケベック
カナダの政治家。ラバル大学卒業後弁護士を経て,1941年 W.キング自由党内閣の法相,46年外相。 48年キングの後継者として自由党党首。 48~57年 W.ローリエに次ぐ2人目のフランス系カナダ人首相となる。在任中,ニューファンドランドが 10番目の州としての加入,連邦議会の権限の大幅な強化,初のカナダ人総督の実現など,いわゆるカナダ・ナショナリズムの伸張をみた。

サン=ローラン
Saint-Laurent, Cécil

[生]1919.1.5. パリ
[没]2000.12.29. パリ
フランスの大衆小説作家,ジャーナリスト。本名 Jacques Laurent-Cély。『いとしのカロリーヌ』 Caroline chérie (1947) 以下の「カロリーヌ・シリーズ」により大ベストセラー作家となった。そのほか,ジャック・ローランの名で本格的小説もある。『愚行』 Les Bêtises (1979) でゴンクール賞受賞。

サンローラン
Saint-Laurent

カナダ,ケベック州,モントリオール西郊にある住宅都市。 1959年以来,モントリオール大都市圏に編入されている。航空機,鉄道車両,鋳造,化学,繊維,電子機器などの工業が立地する。モントリオール国際空港がある。人口7万 2402 (1991) 。

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百科事典マイペディア 「サンローラン」の意味・わかりやすい解説

サン・ローラン

フランスの服飾デザイナー。アルジェリア生れ。1954年パリでディオールの店に入り,その中心デザイナーとして活躍,1962年独立。若者のファッションに注目し,香水,ハンドバッグなどの関連分野にも進出し,企業的にも成功した。
→関連項目オートクチュール

サン・ローラン

カナダの政治家。ケベックのラバル大学卒後,母校の法学教授となり,1941年以後法相,検事総長,外相,国連代表を歴任。のちカナダ自由党総裁(1948年―1958年),首相(1948年―1957年)となった。イギリス領北アメリカ条令を修正,カナダの独立を法的に完成させるのに努力した。

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世界大百科事典(旧版)内のサンローランの言及

【セント・ローレンス[川]】より

…北アメリカ,五大湖東端のオンタリオ湖から大西洋へ注ぐ大西洋岸最大の川。フランス語ではサン・ローラン川Le Saint‐Laurent。上流部はカナダとアメリカの国境をなす。…

※「サンローラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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