フランスの服飾デザイナー。アルジェリアのオランに生まれる。17歳のとき国際羊毛事務局主催のデザイン・コンテストで優勝。翌年『ヴォーグ』の編集者から紹介されたディオールに即刻採用され同店で働く。ディオールの急死により主任デザイナーの地位につき、「トラペーズ(台型)・ライン」で大成功を収めた。兵役ののち、1962年に彼自身の店を開く。以後、アートをファッションに取り入れたモンドリアン・ドレスやポップ・アート・ドレス、シースルー・ルック、女性のパンツ・ルックが市民権を得ることになったシティ・パンツ、男女の衣服の垣根を取り払ったサファリ・ルックやブレザー・ルック、バレエ・リュスに影響を受けたコスチューム・ルックなど話題作を次々に発表し、エレガンスに新しい解釈を与えた。1966年にはファッションの大衆化をいち早く見通し、既製服店「サン・ローラン・リブゴーシュ」を開店。彼は独創的なファッションの創造者というより、時代が求めるファッションの方向性を的確にとらえる卓抜した才能をもち、パリ・オートクチュールを代表する存在というだけでなく、20世紀のファッションに大きな功績を残している。2002年引退を表明した。
[深井晃子]
『アリス・ローソーン著、深井晃子監訳『イヴ・サンローラン 喝采と孤独の間で』(2000・日之出出版)』▽『川島ルミ子著『Yves Saint Laurent The begining of a legend 1936~2000』(2000・アルク)』
フランスのファッション・デザイナー。アルジェリアのオランに生まれ,1954年にパリに出てディオールの店に入った。57年にディオールが急死すると,その店の中心デザイナーとして一挙に世に知られ,58年にトラペーズ(台形)・ラインをヒットさせた。しかし兵役にとられているうちに,マルク・ボアンがディオールの店の彼の地位を奪ってしまったため,62年に独立,自分のオート・クチュール店をもった。60年代の若者のファッションに注目し,ビートルズ世代のデザインを取り込んだ。ブーツ・ファッション,モンドリアン・ルックなどを発表するとともに,若者の集まるパリ左岸に進出し,プレタポルテ(既製服)に力を入れるようになった。香水からハンドバッグまであらゆる分野に手を広げ,YSL帝国といわれるファッション企業を築き上げ,最も人気のあるデザイナーの一人となった。ディオールまでの古典的なパリのオート・クチュールを60年代のポップ・カルチャーの中で,新しい方向に向けるのに成功したといえる。
執筆者:海野 弘
カナダの政治家。自由党に属し,フランス系2人目の首相となる。在職1948-57年。大学教授から転身して1941年W.L.M.キング内閣の法相,ついで46年外相。キングを助けて49年のニューファンドランド州のカナダ加入や,同年のイギリス領北アメリカ法改正に尽力した。同法の改正によって,イギリス枢密院に代わってカナダ最高裁がカナダの終審裁判所となった。彼の首相時代は第2次大戦後のカナダの黄金期として記憶される。
執筆者:大原 祐子
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…北アメリカ,五大湖東端のオンタリオ湖から大西洋へ注ぐ大西洋岸最大の川。フランス語ではサン・ローラン川Le Saint‐Laurent。上流部はカナダとアメリカの国境をなす。…
※「サンローラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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