サーダバード条約(読み)さーだばーどじょうやく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サーダバード条約」の意味・わかりやすい解説

サーダバード条約
さーだばーどじょうやく

1937年7月8日、トルコイランイラクアフガニスタンの4か国で締結した内政不干渉・不可侵・友好協力の中東条約Middle Eastern Pactの略称。イランの首都テヘランのサーダバードSaad-Abad宮で調印された。この条約は、中東の自立を確保しようとするイスラム教諸国が、エチオピア侵略後のイタリアの東地中海・中東進出を警戒し、協力して安全保障を図るため締結したもの。条約成立の発端は、国境紛争で対立関係にあったイラン、イラク両国が、32年のイランの国際連盟加入後、急速に和解に向かったことにあり、それがさらに中東諸国の結束を固める条約締結へと進展したものである。この条約で、バルカン協商諸国(トルコのほかユーゴスラビア王国、ルーマニアギリシア)とサウジアラビアトランスヨルダンエジプトなど中東諸国との友好協力関係が拡大された。

[藤村瞬一]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「サーダバード条約」の解説

サーダバード条約(サーダバードじょうやく)
Sa‘adābād

1937年7月8日,テヘラン郊外のサーダバードで締結されたトルコ,イラク,イラン,アフガニスタン4カ国不可侵友好条約。主要条項は国境の保全,共通利害の商議,領土の不可侵などで有効期間5カ年。調印国中の1国が脱退しても,他の国により継続される取り決めであった。正式な名称は「近東の平和を確保するための四カ国条約」。この条約はイスラーム諸国の団結の象徴とか,スンナ派シーア派の和解とか,パン・イスラーム主義の復活とか評された。実際は第一次世界大戦後の反英・親ソの機運から生まれたもので,その後の国際情勢の変化によって実効を失った。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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