サーマッラー文化(読み)サーマッラーぶんか

改訂新版 世界大百科事典 「サーマッラー文化」の意味・わかりやすい解説

サーマッラー文化 (サーマッラーぶんか)

サーマッラーバグダードの北西90km,ティグリス川東岸にあるイスラム期の都市遺跡で,1912-14年の調査の際,都市跡の地下の墓から特徴的な彩文土器が発見され,メソポタミア先史時代文化におけるサーマッラー期の標式遺跡とされた。図式化したヤギ,鳥,魚などの動物と人間を幾何学文のなかに入れて,皿や浅鉢の底を中心とする一つの構図にまとめあげた彩文土器である。初めに発見された遺物が,優秀な彩文土器を主体とするものであったことから,輸入土器とか奢侈土器とみなされたが,ハッスナ遺跡Ⅳ~Ⅵ層からサーマッラー式土器が出土し,北メソポタミア先史文化としてハッスナ期-サーマッラー期-ハラフ期の編年,あるいはサーマッラー式土器をハッスナ期に含めてハッスナ期-ハラフ期の編年に多くの研究者の合意がえられたかに見えた。しかし60年代に始まった北メソポタミア先史時代遺跡の発掘は,上記3文化が地域を異にし,すなわちサーマッラー文化は北メソポタミア南部に,ハッスナ文化はニネベ付近に,ハラフ文化はメソポタミア北部に,かなりの期間にわたって併存していたことを明らかにした。炭素14法による年代で前6千年紀といわれる。サーマッラー文化の起源はなお不明であるが,遺跡は降雨農耕可能地域の南側に分布し,実際にチョガ・マミでは運河遺構が発掘されていることから,灌漑農耕を基盤とする最初の文化であったと考えられている。エンマー小麦,パン小麦,大麦,ヒラマメ,エンドウ,亜麻などが栽培され,野獣狩猟をつづける一方,家畜として牛が重要な役割を果たしていた。小さな部屋が数個規則的に配置された日乾煉瓦の家に住み,集落はかなり大きく,チョガ・マミでは4~5haと推測されている。テル・アッサッワーン発見の墓から大量のアラバスター製容器とともに石偶が出土した。サーマッラー文化から南メソポタミアのウバイド文化へ発展したらしい。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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