翻訳|Winnipeg
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カナダ南部,マニトバ州の州都。大都市域人口70万6854(2005)。レッド川とアシニボイン川の合流点に位置し,毛皮交易時代から交通の要衝として知られた。カナダ東西のほぼ中央にあたり,開拓者にとって西部への玄関口であった。二つの大陸横断鉄道が通過し,南のアメリカ合衆国とは三つの鉄道で結ばれている。古くは1738年にフランス人探検家が到来。ついでスコットランド貴族セルカーク卿の植民の拠点となり,1835年にはハドソン湾会社が駐屯所を再建するなど,西部史の中では人口の出入りが著しく,現在でも国際色豊かな都市として知られる。小麦,肉牛などの農牧業地帯をひかえ,長らくカナダ最大の穀物市場で,西部の金融の中心地であったが,製粉,食品加工,家具製造を中心とする工業も盛ん。マニトバ大学,ウィニペグ大学があり,ここに本拠をもつローヤル・ウィニペグ・バレエ団は世界的に有名。
執筆者:大原 祐子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
カナダ中南部、マニトバ州の州都。同州南部、ウィニペグ湖の南72キロメートル、アシニボイン川とレッド川の合流点近くに位置する。同州第一の都市で、人口61万9544、大都市圏の人口は67万1274(2001)。カナダの穀倉地帯を後背地とした小麦、家畜の大集散地で、プレーリー地方の中心都市として発展した。小麦の取引所、製粉や食肉などの加工業や農機具工業も発達し、州人口の約60%がウィニペグ大都市圏に集中している。レッド川東岸のセント・ボニフェースも大都市圏に含まれる。
1733年フランスの探検家ウィニペグによって建設され、毛皮取引の拠点となり、内陸へ向かう初期の移民の基地でもあった。1873年に市となる。85年カナダ太平洋鉄道が完成し、カナダ国有鉄道をあわせて大陸横断二大鉄道の分岐点となり、南のアメリカ合衆国とも鉄道で結ばれ、陸上交通の要衝となった。ヨーロッパからの移民が多く、民俗、文化、社会などにその影響が色濃く反映している。マニトバ劇場センター、ゴシック式の中央寺院、議事堂などの建物がある。
[山下脩二]
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