シャマニ場所(読み)しやまにばしよ

日本歴史地名大系 「シャマニ場所」の解説

シャマニ場所
しやまにばしよ

現在の様似町域に設定された場所(持場)。一七九九年(寛政一一年)に東蝦夷地幕府領となって後、ウラカワ場所の東側に設定されていたアブラコマ場所を東西に分割、西半を当場所、東半はホロイツミ場所としたことで成立。ただしこの分割以前当地は一貫してアブラコマ場所のうちとして把握されていたのではなく、時期によってウラカワ場所に包含されたり、あるいは単独のシャマニ場所として扱われることもあった。

天保郷帳にシャマニ持場之内として「シヤマニ」「ブユガシユマ」「コトニ」「ポロマンベツ」がみえる。西側はウトマンベツ(ウトマヘツ、現在の様似町と浦河町の境界をなす鵜苫川)をもってウラカワ場所に、東側はニカンベツ(現在の様似町とえりも町の境をなすニカンベツ川)をもってホロイツミ場所に接していた(東蝦夷地場所大概書)。ただし当場所のアイヌの言い分ではウラカワ場所との境界は古くホロマヘツ(現在の日高幌別川)であったという。このため境界争いがしばらく続いたが、一八〇九年(文化六年)和解、改めてホロマヘツを境界としたという(場所境調書)。またホロイツミ場所との境界も古くはヨムケヘツ(小休所コトニの四町五〇間ほど東方、山川地理取調図ではヨムケヘシとみえる)であったという。一七九九年シャマニ山道サルル山道が開削されると、シャマニ山道の東半とサルル山道の全行程がホロイツミ場所に含まれることとなった。同場所は人数が少ないこともあって両山道を維持・管理することは困難なことから、享和年中(一八〇一―〇四)ニカンベツに境界を変更してシャマニ山道を当場所持とし、その維持・管理も当場所が負担することになったという(「場所境調書」、板本「東蝦夷日誌」など)。「東蝦夷地場所大概書」に「海岸通道法五里弐拾八町拾六間」、「場所境調書」には「当時シヤマニ持場所五里拾丁四十八間」とみえるが、前者はシャマニ山道を経由した際の道法、後者は海岸経由の際の道法であった(「野作東部日記」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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