日本大百科全書(ニッポニカ) 「ショーミン」の意味・わかりやすい解説
ショーミン
しょーみん
Виталий Николаевич Сёмин/Vitaliy Nikolaevich Syomin
(1927―1978)
ロシア(ソ連)の小説家。南ロシアのロストフ・ナ・ドヌー(ロストフ州の州都)生まれ。第二次世界大戦中の1942年、ドイツ軍に拉致(らち)され、ドイツの収容所で強制労働をさせられる。45年に帰国、ロストフ教育大学に学ぶ。しかし、ドイツ滞在が経歴上の汚点となり、卒業を前にして退学処分を受け、クイブイシェフ発電所の建設現場で働く。56年、タガンログ教育大学の通信制課程を卒業。この年にロストフ・ナ・ドヌーに戻ることを許される。学校教師、新聞編集者、テレビ局の仕事などを経て、作家活動に入った。
最初の短編集『ツィムリャの嵐』(1960)は、ロストフ・ナ・ドヌーで出版された。中編『つばめ星』(1963)は戦前の少年時代を扱った自伝的小説、中編『鉄道まで120キロ』(1964)は、電気もない僻地(へきち)の生活を描く。1964年にはソ連作家同盟に迎えられる。ショーミンの名を一躍高めたのは、『新世界(ノーブイ・ミール)』に発表された中編『一つ家に七人』(1965。邦題『場末街(まち)の七人』)。ロストフ・ナ・ドヌー周縁の「場末街」の停滞したすさんだ生活の実態を自然主義的に描き、保守派から厳しく非難されたが、ショーミンは1960年代の新しいソ連文学の旗手として注目された。
この後しばらく作品を発表することがむずかしくなり、ショーミンは『新世界』編集長トワルドフスキーの依頼により、投稿原稿を査読し、内部用書評を数多く書いた。『胸の標識はOST』(1976)は、15歳の少年の視点からドイツ収容所体験を語った自伝的長編。その続編『ダム』は未完に終わった。『胸の標識はOST』のドイツ語訳の出版社の招待で、1978年旧西ドイツに旅行するが、帰国の3か月後に急死した。死後編纂(へんさん)出版された批評集『作業用メモ』(1984)と『文学における真実』(1987)は、『新世界』などの雑誌のために書いた内部用書評をまとめたものである。
[沼野充義]
『江川卓訳「場末街の七人」(『新しいソビエトの文学1』所収・1967・勁草書房)』