改訂新版 世界大百科事典 「ジャムダットナスル文化」の意味・わかりやすい解説
ジャムダット・ナスル文化 (ジャムダットナスルぶんか)
メソポタミア南部,すなわちバビロニアのジャムダット・ナスルJamdat Nasr遺跡を標式とする,前3200~前3100年ころの文化。かつてジェムデット・ナスルJemdet Nasrとも記された。ジャムダット・ナスルはバビロンの北東40kmにあり,1925-26,28年にオックスフォード大学のS.ラングドンが,92m×48m以上の宮殿らしい日乾煉瓦の大きな建物と,赤と黒による幾何学文からなる彩文土器,やや発達した象形文字をもつタブレットなどを発掘した。ウルクの層位的発掘で第Ⅲ層に並行することが確認され,シュメール文明の編年において,ウルク文化に次いで興り,初期王朝期に続く重要な位置を与えられたが,最近ではむしろウルク期に含めてその末期の様相と考える見方が強い。この時代の遺跡は中心となるバビロニアだけでなく,北につながるディヤラ川流域,ユーフラテス川中流域のマリ,上流のアレッポに近いハブバ・カビラにも存在する。さらにジャムダット・ナスル期に特徴的な土器,円筒印章,浮彫の図文などの出土地が,西ではゲルゼ文化から第1王朝期に至るエジプト,シリア,アナトリア高原,エーゲ海,北ではアッシリア,南ではバハレーン島からオマーン,東ではイラン高原東部にまで達しており,広範な地域との交渉のあったことが知られる。さらにルーマニアのタルタリアから出土したタブレットの絵は,反対もあるが,ジャムダット・ナスル期の象形文字に類似している。この時代はシュメール文明がメソポタミアをこえて大きく発展した時代である。神殿の規模はウルク期より縮小するが,大きな基壇上に位置し,都市は城壁で囲まれ,すでに強力な支配者が出現していたことが,丸彫像,記念碑の浮彫,円筒印章の図文などからも推測できる。なおウルクⅧ~Ⅲ層を原文字Proto-literate期とよび,Ⅷ~Ⅵ層をA期,Ⅴ~Ⅳ層をB期,Ⅲ層をC期とD期に細分する考え方がある。この場合には原文字期C・D期がジャムダット・ナスル期に相当するが,この基準はバビロニアの遺跡に拠っていないのであまり適切とはいえない。
執筆者:小野山 節
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報