スパルタキアード(読み)すぱるたきあーど(英語表記)Спартакиада/Spartakiada

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スパルタキアード」の意味・わかりやすい解説

スパルタキアード
すぱるたきあーど
Спартакиада/Spartakiada

ソビエト連邦で4年ごとに開催された諸民族を対象とした総合スポーツの祭典オリンピック大会の前年に開催され、オリンピック代表選手選抜を兼ねる一大国家的行事であった。スパルタキアードは、青少年・平和・民族親善の祭典と解釈され、現在もロシア連邦などで共同体スパルタキアードなどとして存続している。

 ローマに対抗して反乱を起こした(紀元前73~前71年)剣闘士や奴隷の指導者であった、トラキア人のスパルタクスSpartacusにちなんだ名称で、ソビエト連邦およびその他の社会主義諸国の勤労者の休息と健康保護権の保障、国民の調和的教育を図る政策の一環である大衆競技制度であった。スパルタキアード開催の最大の目的は、広く住民のスポーツに対する関心を喚起し、競技を普及することによって、タレントを発掘しようとすることにある。優秀な選手養成と人間の集団行動の美しさや健康美、さらに青年の力と団結を示威的に観衆に訴えようとするものである。スパルタキアードの構成はソビエト連邦の国家組織に対応しており、村、町、郡、県、地区、共和国、連邦それぞれの単位で行われていた。スパルタキアードにおけるスポーツ競技水準はきわめて高く、それは社会主義闘争と勝利比喩(ひゆ)的な表現であるマス・ゲームによって、社会主義権力の効果的なデモンストレーションとして格好の場となった。オリンピック開催年の1956年夏に第1回ソビエト連邦スパルタキアード競技大会が開催された。その後、1959年に第2回が開かれ、以後4年に一度オリンピックの前年に開催されるようになった。このスパルタキアードは、ソビエト連邦全土の構成共和国と各地域で実施される代表選手選抜競技会の勝者を1都市に集め、ソビエト連邦最大の総合競技大会として企画された。オリンピックの前年に開催されるスパルタキアードは、1年後のオリンピックにおけるソビエト連邦選手団の実力を予想する重要な役割を担った。さらに、ソビエト連邦全土で開催される予選会は、全国にスポーツを宣伝・普及する有力な手段として、重要なスポーツ政策の一つとなった。地域における予選は、スポーツクラブ所属者だけでなく同居住区住民も参加でき、また労働組合スポーツ協会体育スパルタキアード、全ソ農村夏季スポーツ大会、全ソ青年スポーツ大会、全ソ児童スパルタキアード、全ソ職業技術学校スパルタキアードなど各種大会も予選として公認されていた。

 第1回ソビエト連邦スパルタキアード競技大会では世界新記録142、全ソ新記録415が樹立され、第二次世界大戦後、わずか10年あまりの間のソビエトスポーツ界の競技力の著しい向上を国内外に示した。1979年の第7回スパルタキアード決勝大会はモスクワ・プレ・オリンピックを兼ね、外国選手が多数参加した。この大会で行われた競技種目は、レスリング(フリー・グレコローマン)、ボクシング、柔道、自転車、水球、体操、ボート、カヌー、馬術、陸上競技、水泳(競泳・飛込)、近代五種、射撃、アーチェリー、フェンシング、サッカー、バレーボール、ハンドボール、バスケットボール、ウエイトリフティング、ホッケー、ヨットなどのオリンピック種目およびサンボ、新体操、テニス、チェスの30種目であった。陸上競技には800メートルリレー、3200メートルリレーという種目も含まれていた。前記のスポーツ競技のほかに、秩序運動や行進運動、器械体操、徒手体操、手具体操などのマス・ゲームも行われた。

 チェコスロバキアでもソビエト連邦より1年早い1955年から5年ごとに同様の国家的体育祭が行われた。東ドイツでは1963年に児童と青少年のスパルタキアードが、競技によってスポーツ教育を補充し、技術力レベルをチェックする目的で導入された。東ドイツではこの大会は、スポーツのタレント発掘上もっとも重要な手段とみなされていた。このような体育祭は、社会主義諸国において盛んで、中国、北朝鮮などでも大規模に行われている。

 1991年12月13日、ソビエト連邦を構成していた15の共和国が分離独立し、スポーツ界も共同体スポーツ体制へと移行するが、1992年のオリンピック・バルセロナ大会後、ロシアは単独スポーツ体制へと完全に移行した。ソビエト連邦崩壊以降、ロシアでは労働者スパルタキアード、義務教育学校スパルタキアード、シベリア冬季スパルタキアード、共同体スパルタキアード、共同体労働者スパルタキアード、冬季ロシア勤労者スパルタキアードなどの競技大会が開催されている。

[三輪康廣]

『日本オリンピック・アカデミー編『オリンピック事典』(1981・プレスギムナスチカ)』『岸野雄三監修『スポーツ科学事典』(1981・プレスギムナスチカ)』『朝岡正雄監訳『スポーツ科学辞典』(1993・大修館書店)』『里美悦郎著『新ロシアスポーツ研究――新生ロシアスポーツ体制の成立過程』(1997・不昧堂出版)』

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