日本大百科全書(ニッポニカ) 「スプリングスティーン」の意味・わかりやすい解説
スプリングスティーン
すぷりんぐすてぃーん
Bruce Springsteen
(1949― )
アメリカのロック・シンガー。ニュー・ジャージー州フリーホールド生まれ。1973年にデビューし、第二のボブ・ディランと評された。しかし、1970年代中ごろ、スプリングスティーンが『タイム』誌と『ライフ』誌の表紙を同時に飾るころには、批評家にロックン・ロールの救世主と呼ばれるようになっていた。
1960年代から音楽活動を始め、そのころはクリームやジミ・ヘンドリックスなどのカバーを中心にしたハード・ロックをガレージ・サウンド(1960年代後半にアメリカのティーンエイジャーにより演奏された音楽。ガレージを練習場所にしたことが名前の由来)として演奏していた。1970年代にニューヨークのグリニジ・ビレッジに拠点を移すと、フォーク・シンガーに転向する。1972年にフォーク・シンガーとしてコロンビア・レコードと契約したものの、いざスタジオに入る段になると、スプリングスティーンは地元ニュー・ジャージーのロック・バンド仲間を呼び集めた。デビュー・アルバム『アズベリー・パークからの挨拶』(1973)のなかの「光で目もくらみ」がイギリスのベテラン・グループ、マンフレッド・マンに取り上げられ、4年後に大ヒットするが、このアルバムは次作『青春の叫び』(1973)同様に、セールス的には成功しなかった。しかし批評家たちはこの新人を大絶賛し、当時からスプリングスティーンは無視できない存在であった。
3枚目のアルバム『明日なき暴走』(1975)ではタイトル曲はトップ40入りし、アルバムはヒット・チャート・トップ10に入る成功を収める。スプリングスティーンのソング・ライティング、ボーカルと、バックを務めるEストリート・バンドの演奏の一体感は、ロック界の救世主の出現を感じさせるに充分なものだった。
その後、マネジメント上の訴訟問題などがあり、3年間のブランクをおいて『闇に吠える街』(1978)、「ハングリー・ハート」のヒットが生まれた2枚組『ザ・リバー』(1980)、ロックン・ロールから一転して内省的なフォーク調の弾き語りの『ネブラスカ』(1982)を発表するなどマイペースな活動を続けた。
1984年、『ボーン・イン・ザ・U. S. A.』の発売と2年におよぶワールド・ツアーが、スプリングスティーンをマイケル・ジャクソン、プリンスと同格のMTV時代のポップ・スターに押し上げる。1986年にはその追い風を受け、LP5枚組の『ライブ1975―85』Live 1975-85をリリース、チャートの首位を獲得する。1989年には、Eストリート・バンドを解散し、ソロ活動を開始。1992年には続けて2枚のアルバム『ヒューマン・タッチ』『ラッキー・タウン』を発表。1994年、映画『フィラデルフィア』(1993、監督ジョナサン・デミJonathan Demme(1944―2017))のサウンドトラックでグラミー賞を受賞。また1995年にはエイズ問題を扱ったアルバム『ゴースト・オブ・トム・ジョード』が話題になった。1999年にロックン・ロールの殿堂入りを果たしている。
[中山義雄]