プリンス(読み)ぷりんす(英語表記)Richard Prince

デジタル大辞泉 「プリンス」の意味・読み・例文・類語

プリンス(prince)

皇子。王子。親王。⇔プリンセス
ある団体の中で将来を期待されている男子。「演劇界のプリンス
[類語]皇子御子王子若宮親王皇太子東宮

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精選版 日本国語大辞典 「プリンス」の意味・読み・例文・類語

プリンス

  1. 〘 名詞 〙 ( [オランダ語] prins [英語] prince )
  2. 皇太子。皇子。王子。親王。また比喩的に用いて、特定の団体の中の、若くて将来を期待される男子。
    1. [初出の実例]「せんせりにあとぺるしゃのぷりんすを相納るるには」(出典:露団々(1889)〈幸田露伴〉一四)
  3. ヨーロッパの小国の領主・王。公。
    1. [初出の実例]「王と称すること『プリンス・ヲランヱ』と云『プリンス』は王侯なり、『ヲランヱ』は双紅色(きかばいろ)を云」(出典:和蘭通舶(1805)二)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「プリンス」の意味・わかりやすい解説

プリンス(Richard Prince)
ぷりんす
Richard Prince
(1949― )

アメリカの美術家。パナマで生まれ、ニューヨークを拠点に活動する。独学で美術を学び、1973年にボストンのアンガス・ワイト・ギャラリーで初個展を開催するなど、若いころより精力的に活動する。またほぼ同時期、タイム・ライフ社の編集部で記事を切り抜く仕事をしていたが、その合間に多くの広告写真を収集、それらを撮り直して加工し作品へと応用する「リフォトグラフ」という独自の写真技法を考案。1977年にMoMA(ニューヨーク近代美術館)で開催されたグループ展「地図」には、その技法にもとづく作品を出品した。1981年、ニューヨークのメトロ・ピクチャーズ・ギャラリーで個展を開催。同ギャラリーではほかに、シンディ・シャーマン、シェリー・レビンSherrie Levine(1947― )、バーバラ・クルーガー、ビクター・バーギンVictor Burgin(1941― )、ルイーズ・ローラーLouise Lawler(1947― )など若手作家が写真作品を発表、多くはその後1980年代のシミュレーショニズムを牽引する作家へと成長し、「メトロ・ピクチャーズ」世代と称された。もちろん、プリンスもその一人である。

 プリンスの考案した「リフォトグラフ」は、すでにある広告写真を撮り直して別の文脈へと置きかえるという技法で、消費社会におけるイメージの流通を表現するのに効果を発揮する点では、シミュレーショニズムの意図と近かった。広告写真の多彩なイメージに注目したプリンスは、アングルや色などを微妙に違えた多くの「リフォトグラフ」作品を作成する。その一方でプリンスは、見かけ上の類似を基準に選んだ複数の写真を一つのイメージとして合成する写真作品も手がけた。代表的な作品としては、1980~1987年に作成されたタバコ「マルボロ」のイメージを流用した「カウボーイ」、広告写真などから引用した3人の女性のイメージを再構成した「同じ方向を見る3人の女性」のシリーズがある。また1980年代後半以後は、写真に短い手書きの言葉やマンガを書き込む新しい試みにも着手した。写真というメディアを活用したプリンスの意図は「もとのイメージに対する知覚の変化」を表現することにあり、いかようにでも取り替えのきく広告写真を用いて、その無意味さ、無内容さを揶揄するアイロニーに満ちている。プリンス本人は、その行為を音楽における「サンプリング」にもなぞらえている。

 サン・パウロビエンナーレ(1983)、ベネチア・ビエンナーレ(1988)に参加し、プリンスの名はシミュレーショニズムの作家たちのなかでもいち早く国際的に知れわたった。またホイットニー・アメリカ美術館(1992)、サンフランシスコ現代美術館(1993)、ウォルフスブルク美術館(2002、ドイツ)などでは大規模な個展も開催されるなど、シミュレーショニズムの流行が過ぎ去った後も、高い国際的な評価を保っている。

[暮沢剛巳]

『「We love painting――ミスミコレクションによるアメリカ現代美術」(カタログ。2002・東京都現代美術館)』


プリンス(ミュージシャン)
ぷりんす
Prince
(1958―2016)

アメリカのミュージシャンミネソタ州ミネアポリス生まれ。本名プリンス・ロジャー・ネルソンPrince Roger Nelson。1980年代のアメリカで二つの音楽ジャンルで成功を収めた。一つはMTV時代のやや露出趣味のポップ・スターとしてで、マイケル・ジャクソン、マドンナのライバルだった。もう一つはジェームズ・ブラウン、スライ&ザ・ファミリー・ストーンなどが開拓したファンク・ミュージックの遺産の継承者としての成功である。最新のテクノロジーを駆使するだけでなく、過去のロックの遺産も積極的に再評価する視野の広さと音楽の掌握力は図抜けていた。

 デビュー作『フォー・ユー』(1978)は、ソウル・ミュージック・チャート、ポップ・チャートでそこそこの成功を収めたが、この作品にはユニークな個性ほどには語られることのない、マルチプレーヤーとしてのプリンスの実力が示されている。次作『愛のペガサス』(1979)からは、「ワナ・ビー・ユア・ラバー」がポップ・チャートの22位になり、ここから新しい時代のポップ・スターのイメージをつくり上げてゆく。3枚目のアルバム『ダーティ・マインド』(1980)のタイトル曲は放送禁止コードの限界に迫る性的な表現に溢れ、この曲で1980年代前半のポップ・チャートの常連となる。ポップ・スターとしてのプリンスのキャリアは主演映画『パープル・レイン』(1984、監督アルバート・マグノーリAlbert Magnoli)で頂点を極める。

 その一方で、プリンスは優秀な若手ミュージシャンを集め、自らのバンド、レボリューションを結成した。1960年代後半のサイケデリックを積極的に再評価した『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』(1985)、そして『パレード』(1986)では、ファンクの継承者としての側面を強く打ち出すだけでなく、最新テクノロジーを駆使し、さまざまな音楽的な新機軸を打ち出すことに成功する。

 2枚組アルバム『サイン・オブ・ザ・タイムズ』(1987)はプリンスのそれまでの活動の集大成的な作品で、批評家に高い評価を得る。このアルバムと同時に制作が進行していた、ハード・ファンクで統一された『ブラック・アルバム』(1994)は内容があまりに暗く、猥褻であるという理由で1990年代になるまで正規にはリリースされなかった。しかし、一連の作品・活動により1980年代中期には、プリンスは人気と音楽的な実力双方で、ポピュラー音楽の世界の頂点を極めた。

 その後、プリンスの活動は多極化していく。ソングライター、プロデューサーとして、バニティ6、ザ・タイム、バングルズ、チャカ・カーン、シーラE Sheila E. (1959― )らと活動し、自らのレーベル、ペイズリー・パークも始動させ、他方でベテランのソウル・シンガー、メイビス・ステープルズMavis Staples(1939― )のアルバムもプロデュースした。

 しかし『ラブセクシー』(1988)で初のセールス的な失敗を経験、翌年の映画『バットマン』(監督ティム・バートンTim Burton(1958― ))のサウンド・トラックの成功で巻き返したものの、プリンスの神通力も1990年代には翳(かげ)りが見え始めた。その後の主な活動としては、1991年に新しいバンド、ニュー・パワー・ジェネレーションを結成し、1994年に独立レーベル、NPGを設立、さらにはプリンスという芸名も封印したが、2000年に名前を元に戻した。

[中山義雄]


プリンス(Frank Templeton Prince)
ぷりんす
Frank Templeton Prince
(1912―2003)

イギリスの詩人。南アフリカに生まれ、オックスフォード大学を卒業後、第二次世界大戦中はイギリス情報部に勤務し、1957年以来サウサンプトン大学の英文科教授を務めた。崇高な愛の詩や憂愁をたたえた叙情詩など、その誠実で伝統的な詩風によって一部の読者から高く評価されている。代表作はT・S・エリオットに賞賛された第二詩集『兵士たちの水浴びその他の詩集』(1954)。学者批評家としても研究書『ミルトンの詩におけるイタリア的要素』(1954)や『シェークスピア・詩』(1963)の編集、解説の仕事がある。

富士川義之

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現代外国人名録2016 「プリンス」の解説

プリンス
Prince

職業・肩書
ミュージシャン,俳優

国籍
米国

生年月日
1958年6月7日

出生地
ミネソタ州ミネアポリス

本名
ネルソン,プリンス・ロジャーズ〈Nelson,Prince Rogers〉

受賞
アカデミー賞歌曲編曲賞(第57回)〔1984年〕「パープル・レイン」,グラミー賞〔1984年〕

経歴
“プリンス”の名は、ジャズ・ピアニストだった父のトリオ、ザ・プリンス・ロジャーズ・バンドにちなんで命名された。7歳のとき独学でピアノを始める。12歳ですでに20以上の楽器をマスター。その頃、後のマッド・ハウス・サウンドの元となった“シャンペン”を結成し、ローカル・デビュー。18歳のとき、自分でレコード製作を主張、そうでないレコーディング契約をすべてことわったといわれている。1978年「FOR YOU」でアルバムデビューし、主にセックスを主題にした歌詞と派手なコスチュームで注目される。’82年「1999」が大ヒットし、’84年自伝的映画と連動して発表されたアルバム「パープル・レイン」で頂点に立つ。ソウルとロックを高度に融合させたポップミュージックを作り出し、その後も「パレード」(’86年)や「ラブセクシー」(’88年)など完成度の高いアルバムを発表。また自分のレーベル「ペイズリー・パーク」を作り、ミネアポリスに音楽ファミリーを形成する。’80年代を通じて、カルト的なマイナー・アーティストから、20世紀で最も高く評価され、影響力のあるアーティストへと変身する。’90年6月「ヌード・ツアー」でワールド・ツアー開始、8月アルバム「グラフィティ・ブリッジ」発表。同年映画「グラフィティ・ブリッジ」公開。’92年ワーナー・ブラザーズと総額1億ドルで契約を結び、同社の副社長にも就任。’93年4月レコーディング休止宣言、同年6月改名宣言し、発音不能な記号の“シンボル”(元プリンス)として活動を開始。’94年“シンボル”名義でシングルを発表、同年8月プリンス名義の最後のアルバム「Come」を発表。’96年11月アルバム「イマンシペイション(解放)」を発売、宣伝のため来日。’99年“ジ・アーティスト”と改名。2000年再び“プリンス”名に戻す。2007年、24作目となるアルバム「プラネット・アース」を英国の日曜紙「メール・オン・サンデー」の付録として発売。他のアルバムに「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」(1985年)、「バットマン」(’89年)、「ダイアモンズ・アンド・パールズ」(’91年)、「ゴールド・エクスペリエンス」(’95年)、「3121」(2006年)、「ロータスフラワー」(2009年)などがある。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

知恵蔵 「プリンス」の解説

プリンス

米国の歌手。1958年6月7日生まれ、米ミネソタ州ミネアポリス出身。ロックやR&B、ソウル、ポップス、ゴスペル、ヒップホップ、ファンクなど多様なジャンルを融合させた独創的な音楽や、過激な性的表現を含んだ歌詞、奇抜なスタイルなどが注目され、世界的な人気を誇る。これまでにサントラ盤やライブ盤を含む47枚のアルバムを発表し、うち12枚で100万枚以上を売り上げた。シングルでも多くのヒット曲を生み出し、アルバムと合わせて世界で累計1億2000万枚以上の売上を記録している。グラミー賞を7回、アカデミー賞(歌曲・編曲部門)を1回受賞した。2004年には米国の博物館「ロックの殿堂」入りを果たした。本名はプリンス・ロジャース・ネルソン。
プリンスという名前は、ジャズミュージシャンの両親が所属していたバンド名に由来する。学生時代はアマチュアバンドで活動し、1977年、米国のレコード会社、ワーナー・ブラザーズと契約を締結した。プロデュース全般を自身が行うという、新人としては珍しい条件で、契約金は破格だったという。78年、アルバム「フォー・ユー」でデビュー。作詞、作曲、編曲、歌唱、演奏、プロデュースを全て1人で行い、27種類の楽器を演奏するという才能を発揮する。当初は過激な歌詞や半裸にサスペンダーの衣装といった奇抜なイメージが先行し、81年、英国のロックバンド、ローリング・ストーンズの前座を務めた際は壮絶なブーイングを受け、腐ったキャベツを投げつけられた。しかし82年、5作目のアルバム「1999」が世界的にヒットする。84年、自伝的映画のサントラでもある6作目のアルバム「パープル・レイン」は全米アルバム・チャートで24週連続1位を獲得し、世界で約1500万枚を売り上げる大ヒットを記録した。このアルバムでアカデミー賞を受賞し、紫がイメージカラーとなる。89年には映画「バットマン」のサントラを担当し、シングル「バット・ダンス」は全米チャートで1位となった。
音楽業界のあり方に反発して独自路線を進むようになり、92年、アーティスト名を男女のシンボルマークを合わせたような、発音不能の記号に改名(後にプリンスに戻す)した。90年代後半にワーナーから離脱する。それと前後して自身のレーベル「NPG」をスタートさせ、インターネットを通じてアルバムを発表する。アルバムごとに異なるレーベルで発表したり、アルバムを新聞の付録としたりするなど革新的な試みも行った。その後は精力的にアルバムを制作しつつ、世界各地でコンサートを展開した。日本のファンからは「殿下」の愛称で親しまれ、86年から2002年にかけて6回来日公演を行った。
16年4月21日、米ミネソタ州の自宅兼スタジオで意識不明の状態で発見され、57歳で亡くなった。現地の捜査当局が死因を確認している。米国のオバマ大統領は「世界は独創的な存在の象徴を失った」という声明を発表、ミック・ジャガーやマドンナといった著名ミュージシャンも続々と哀悼の意を示した。ミネソタ州やニューヨークなど米国各地で追悼集会が行われている。

(南 文枝 ライター/2016年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プリンス」の意味・わかりやすい解説

プリンス
Prince, Harold

[生]1928.1.30. アメリカ合衆国,ニューヨーク,ニューヨーク
[没]2019.7.31. アイスランド,レイキャビーク
アメリカ合衆国のプロデューサー,演出家。フルネーム Harold Smith Prince。トニー賞受賞作を多数世に送り出した,20世紀のブロードウェーにおける最重要人物の一人とされる。1948年ベンシルバニア大学卒業後,演出家ジョージ・アボットの助手兼舞台監督としてキャリアを積んだ。1953年からミュージカルを手がけ,初めてプロデュースした『パジャマ・ゲーム』The Pajama Game(1954)で大成功を収めてトニー賞を受賞。続く『ウエスト・サイド物語』West Side Story(1957),『屋根の上のバイオリン弾き』Fiddler on the Roof(1964)などのプロデュースで名声を得た。1962年,『ファミリー・アフェア』A Family Affairで演出家としての活動を始めると,スティーブン・ソンドハイムとのコンビで精力的に仕事をこなし,従来のミュージカルとは一線を画する明快なコンセプトをもつ数々のヒット作を生み出した。代表作に,『キャバレー』Cabaret(1966),『スウィーニー・トッド』Sweeney Todd(1979),『エビータ』Evita(1979),『オペラ座の怪人』The Phantom of the Opera(1986)など。

プリンス
Prince, Morton (Henry)

[生]1854.12.21. ボストン
[没]1929.8.31. ボストン
アメリカの心理学者,精神医学者。ハーバード大学助教授,同大学に臨床心理学研究所を設立。 S.フロイトの汎性欲説には反対の立場を取ったが,その動的見地を異常心理学に導入,また催眠法を早くから採用,特に二重人格,無意識の研究で知られている。"Journal of Abnormal Psychology"を創刊 (1906) 。主著『ミス・ビーチャムあるいは失われた自己』 The Dissociation of a Personality (06) ,『無意識』 The Unconscious (13) ,『人格の臨床的,実験的研究』 Clinical and Experi-mental Studies in Personality (29) 。

プリンス
Printz, Johan Björnsson

[生]1592.7.20. ボットナリード
[没]1663.5.3.
スウェーデンの軍人,政治家。スウェーデン領北アメリカ植民地ニュースウェーデン総督 (在任 1642~53) 。同植民地の繁栄のため手腕をふるったが,そのきびしい政策に植民地人は反発し本国に代表を送って不満を陳情した。 1653年彼はこの行動を反乱とみなし,指導者を絞首刑に処したため植民地人と衝突して,辞任し帰国した。

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20世紀西洋人名事典 「プリンス」の解説

プリンス
Prince


1958 -
ミュージシャン。
ミネアポリス生まれ。
本名プリンス・ロジャーズ・ネルソン。
ブラック・ミュージック界の一大勢力となったミネアポリス一派の長。デビューは1978年、セックスを主題にした歌詞と派手なコスチュームで注目された。’80年の名作「ダーティー・マインド」を経て、’82年の「1999」が大ヒットし、’84年の「パープル・レイン」は自伝的映画と連動して発表され頂点に立った。高度にソウルとロックを融合させポップ・ミュージックを作りだし、後も「パレード」「ラヴセクシー」「サイン・オヴ・ザ・タイムズ」等完成度の高いアルバムを発表。92年ワーナー・ブラザーズ副社長。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「プリンス」の意味・わかりやすい解説

プリンス

米国のロックおよびソウル歌手,ギター奏者,作曲家。ミネソタ州ミネアポリスの生れ。1978年デビュー。1980年のアルバム《ダーティー・マインド》で注目を浴び,《1999》(1982年),《パープル・レイン》(1984年)でスターとなった。以後も《パレード》(1986年),《サイン・オブ・ザ・タイムズ》(1987年)など完成度の高いアルバムを発表している。なお,1993年改名したが,その読み方は不明。

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デジタル大辞泉プラス 「プリンス」の解説

プリンス

静岡県、バイエルンマイスタービールが製造する地ビール。ドイツ人ビールマイスターが醸造する。ピルスナータイプ。

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367日誕生日大事典 「プリンス」の解説

プリンス

生年月日:1958年6月7日
アメリカのミュージシャン;俳優

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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