セマウン(その他表記)Semaun

改訂新版 世界大百科事典 「セマウン」の意味・わかりやすい解説

セマウン
Semaun
生没年:1899-1971

インドネシア共産党創成期の指導者。東部ジャワに生まれ,鉄道員として働きながら労働組合運動で頭角を現し,1914年イスラム同盟に,翌年には在住オランダ人社会主義者スネーフリートらのつくった東インド社会民主同盟に加わった。当時インドネシアでは,イスラム同盟が民族運動の主流で,社会民主同盟はこれへの浸透を策し,分派活動を通してイスラム同盟の急進化と左派分子の獲得をはかっていたが,セマウンはスネーフリートの一番弟子,インドネシア人社会主義者の草分けとして,この工作の中心を担った。また,社会主義運動がオランダ人からインドネシア人の手に移る際の橋渡しをつとめ,20年には東インド社会民主同盟を改組してアジア最初の共産主義政党であるインドネシア共産党を結成,その初代議長に就任した。23年にストライキを指導して祖国を追放され,影響力をほとんど失った。主としてソ連で亡命生活を送り,56年に帰国したが,戦後のアイディットが指導した共産党とは関係がない。
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百科事典マイペディア 「セマウン」の意味・わかりやすい解説

セマウン

インドネシア共産党創成期の指導者の一人。東部ジャワに生まれる。1915年,在住オランダ人スネーフリートらの東インド社会民主同盟に参加,スネーフリートの影響下で最初のインドネシア人社会主義者の一人となる。民主同盟は,民族主義運動の主流であるイスラム同盟への浸透をはかり,その急進化・左傾化を画策するが,セマウンはその中心的な役割を担った。1920年東インド社会民主同盟を改組してインドネシア共産党(アジアで最初の共産党)を創設,初代議長に就任した。1923年追放され,ソ連その他で亡命生活を送るがしだいに影響力を失い,1956年に帰国するが,アイディット指導下の共産党とは関係を持たなかった。

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20世紀西洋人名事典 「セマウン」の解説

セマウン
Semaun


1899.(1890.説あり) - 1971
インドネシアの労働活動家。
東部ジャワ生まれ。
鉄道員として働くかたわら労働組合運動で頭角を現し、1914年イスラム同盟に、翌’15年には東インド社会民主党同盟に参加する。その後、’20年インドネシア共産党を結成し、初代議長。’23年にはストライキを指導したため国外追放となり、主にソ連で亡命生活を送った後、’56年に帰国。帰国後はスカルノと協力し、国家計画評議会のメンバーとなった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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