日本大百科全書(ニッポニカ) 「タフ・ベール判決」の意味・わかりやすい解説
タフ・ベール判決
たふべーるはんけつ
Taff Vale Judgment
1901年イギリスのタフ・ベール鉄道従業員のストライキに対し、当時最高裁判所も兼ねていた貴族院が、労働組合のストライキにより使用者の被った損害について民事共謀の法理を用い、組合役員の賠償責任を認め、組合に多額の賠償金を科した判決。この判決を契機に、1871年労働組合法と1875年共謀および財産保護法により刑事罰からの解放を獲得した労働組合は、民事責任の問題に直面することとなった。ストライキを行った組合の基金は使用者の損害賠償請求によって危機に瀕(ひん)し、ストライキ権自体が事実上剥奪(はくだつ)されたに等しい状態となった。タフ・ベール事件は労働運動に立法闘争の重要性を認識させ、労働党の結成を促進した。その結果、1906年に労働争議法Trade Disputes Actが制定され、組合はほぼ完全な争議行為の民事免責を獲得することになる。
[寺田 博]