ターフェ(その他表記)Taaffe, Eduard, Graf von

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ターフェ」の意味・わかりやすい解説

ターフェ
Taaffe, Eduard, Graf von

[生]1833.2.24. ウィーン
[没]1895.11.29. エリシャウ
オーストリアの政治家。 1867年内務・国防長官となり,翌 68年アウエルシュペルク公の跡を継いで帝国宰相となったが,チェコ人への譲歩を主張して 70年辞職した。しかし 79年自由党内閣の崩壊とともに皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に請われて,中央政界に復帰し宰相となった。彼はドイツ民族主義に対抗して,チェコ語をドイツ語と並ぶボヘミアの半公用語とし,チェコ人の帝国議会復帰を実現するなど,カトリック教会や,帝国領内のチェコ人の支持を受けたが,93年普通選挙の実施要求を議会に拒絶されて辞職した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ターフェ」の解説

ターフェ
Eduard Graf von Taaffe

1833~95

帝政期オーストリアの貴族政治家,首相(在任1868~70,79~93)。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の幼少時からの友人。皇帝の絶対的信頼もと司法行政におけるチェコ語の同権を認めてチェコ人の議会ボイコットを止めさせたが,ドイツ民族主義や反ユダヤ的キリスト教社会主義からの反発呼び,民族の融和はならなかった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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