改訂新版 世界大百科事典 「ダイラム」の意味・わかりやすい解説
ダイラム
Daylam
カスピ海南西岸の山岳地帯の古名。東のタバレスターン,西のギーラーン地方も広義のダイラムと呼ばれることがあったが,正確には,この両者にはさまれた地方をいう。峻険な地形のため,アラブの征服の時代にもイスラム化することがなく,キャドホダーkadukhodāと呼ばれる者が支配する,家父長制的で閉鎖的な社会であったという。言語はペルシア語の一分派で,女性も農耕に従事し,牧羊も行われていた。9世紀後半より,ザイド派の布教によってシーア派のイスラムに改宗するものが増え,イスラム世界への進出も活発になった。ダイラム人は,ササン朝時代から忍耐強い精強な歩兵として知られ,ガズナ朝,ファーティマ朝など各地で傭兵として使われた。セルジューク朝のニザーム・アルムルクも,《政治の書》の中で,トルコ人と並んでダイラム人を軍隊に加えることを推奨している。タバレスターン,ゴルガーンを支配したジヤールZiyār朝(927-1090ころ),東方イスラム世界の盟主となったブワイフ朝,さらには中央イランのカークワイフKākwayh朝(1008-51)は,いずれもダイラム人自らが建てた王朝である。11世紀の末には,ダイラム地方の中心地アラムートAlamūtがニザール派のハサン・サッバーフの手に落ち,フレグのモンゴル軍に滅ぼされるまで難攻不落を誇った。ニザール派教団の刺客フィダーイーとなったダイラム人も多い。
執筆者:清水 宏祐
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報