イラン人の政治家。名は〈国の統治者〉を意味する。ホラーサーンのトゥースに近い町の地主の家に生まれる。初めガズナ朝のホラーサーン総督に仕え,次にセルジューク朝のチャグリー・ベクのもとに転じ,アルプ・アルスラーン,マリク・シャーの2代のスルタンのワジール(宰相)となった。両スルタンの実質的なアター・ベク(養育者,後見人)でもあり,自らも私兵を擁し政治の実権を握って,行政組織,軍隊,イクターの整備などの改革を行った。主要な都市にニザーミーヤ学院を開設してスンナ派イデオロギーの擁護とウラマーの育成に努めたのもその一つである。彼の著した《政治の書Siyāsat nāma》は,君主に対して統治理念を説いたもので,ペルシア語散文学の傑作であり,歴史史料としても貴重である。1092年バグダードへの旅行途上でイスマーイール派と思われるダイラム人によって暗殺されたが,その一族はその後,半世紀にわたってワジールなどの要職についた。
執筆者:清水 宏祐
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ペルシア人の政治家。ホラサーンのトゥース近くの町の地主の家に生まれる。初めガズナ朝のホラサーン総督に任え、次にセルジューク朝のチャグリー・ベクの下に転じ、アルプ・アルスラーン、マリク・シャーの2代のスルタンの宰相となった。両スルタンの実質上のアター・ベク(君主の子息の養育にあたった者の称号)の役割を務め、自ら私兵を擁して政治の実権を握った。ニザーミーヤ学院を開設して、国家宗教としてのスンニー派イスラムの擁護にあたり、イクター制、軍制の整備など、多くの改革を行った。
彼の著した『スィヤーサト・ナーメ(政治の書)』は、君主に対して統治理念を説いたもので、ペルシア語散文学の傑作であり、史料としても重要である。彼は1092年、イスファハーンからバグダードへの旅の途中で、イスマーイール派の刺客によって暗殺されたが、その後、半世紀にわたって、その子孫も「~アルムルク」という名で、宰相などの要職についた。
[清水宏祐]
1018~92
セルジューク朝の大宰相。ホラーサーン地方トゥースの出身。同朝のスルタン,アルプ・アルスラーンとマリク・シャーに仕えた有能な政治家。学問,文学を保護,奨励し,バグダードをはじめ各地にニザーミーヤ学院を設立した。マリク・シャーの求めで『シヤーサト・ナーメ』(政治の書)を著した。ニハーヴァンド近くでイスマーイール派によって暗殺された。
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… 次のセルジューク朝(1038‐1194)も,建国当初からブワイフ朝のイクター制をほぼそのままの形で踏襲した。宰相ニザーム・アルムルクは,イクター保有権と行政権とが結びついたアミールの大イクターについても,軍事奉仕の義務を明確に定めて国家の統制を強化したが,12世紀以後になるとこれらのアミールは自らのイクターを世襲化し,独立化の傾向を強めていった。ザンギー朝(1127‐1222)をはじめとして各地に成立したアター・ベク政権はその典型である。…
…インドのデカン高原中央部に存した最大かつ最重要のムスリム藩王国。ムガル朝下のデカン長官ニザーム・アルムルクNiẓām‐ul‐Mulk(1671‐1748)が1724年に独立して創建。王は代々ニザームを称した。…
…在位1072‐92年。カーブルド・ベクの反乱を鎮圧して一族内の地位を確立,宰相ニザーム・アルムルクの助けを得て,イクター制の整備,奴隷軍の再編成を行った。イスファハーン,バグダード,ホラーサーン諸都市に公共建造物,市壁を造り,東方ではカラ・ハーン朝,西方ではマルワーン朝,ビザンティン帝国より領土を奪って,同朝史上最大の版図を実現した。…
※「ニザームアルムルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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