20世紀西洋人名事典 「ダグラスマッカーサー」の解説
ダグラス マッカーサー
Douglas MacArthur
1880.1.26 - 1964.4.5
米国の軍人。
元・アメリカ陸軍大将,元・対日占領連合軍最高司令官,元・レミントン・ランド社社長。
アーカンソー州リトルロック生まれ。
ウェストポイント陸軍士官学校卒。
第一次大戦に参加し活躍。帰国後1918年ウェストポイント校長、陸軍参謀総長などを歴任し、いずれも最年少記録を作る。’32年恩給一括払いを要求する「ボーナス・マーチ」を弾圧。’35年フィリピン国民軍を創設。’41年日本軍の攻撃に敗れたが、’44年反攻作戦に成功。フィリピン奪回の約束を果たす。’45年日本占領連合軍最高司令官として民主化を進め、国民主権、平和主義の新憲法をもたらす。朝鮮戦争勃発時に国連軍総司令官となるが、トルーマン大統領の政策に反対し、’51年解任。晩年はレミントン・ランド社会長として送る。
ダグラス(Jr.) マッカーサー
Douglas(Jr.) MacArthur
1909 -
米国の外交官。
元・駐日大使。
ペンシルバニア州生まれ。
マッカーサー元帥の甥で、大学卒業後、国務省に入り、1942〜44年ドイツに抑留。’49年国務省西欧部長、欧州局長次長を経て、’53年国務省顧問となり、NATO計画立案実現に活躍。駐ベルギー大使、駐イラン大使を歴任後、’57〜61年駐日大使。’65年には国務次官補。親日家として有名。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報