日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダムタイプ」の意味・わかりやすい解説
ダムタイプ
だむたいぷ
アーティスト・グループ。京都を拠点に国際的な活動を続ける。マルチメディアを使ったパフォーマンスを中心にインスタレーション、CDリリースなどプロジェクトに応じて複合的な活動形態をとる。1984年(昭和59)に京都市立芸術大学の学生を中心に、映像、絵画、建築、デザイン、コンピュータ・プログラミングなど異なる背景をもつメンバーによる、脱中心的なコレクティブ(集合体)として開始された。既存の表現形式にとらわれず、日常的にメンバーが共有する問題意識を映像、音、パフォーマーなどを要素として関係させる実験的な空間・時間表現へと展開してきた。現代社会に横たわるさまざまなボーダー(境界)を鋭敏に感知し、独自のミニマルな空間性を身体をともなう批評的ユーモアでくるむことで、見る側に問いを投げかける。
これまでのダムタイプの活動は、大きく三つに分けることができる。まずメンバーの「匿名性」を打ち出したパフォーマンス・グループとして実験的なライフ・フォーメーション・ゲーム(電子機器のあふれる日常の断片を切り取り、それを所作として抽象化して映像やパフォーマーの動きにより呈示するもの)を展開した初期(1984~86)。次が『036 PLEASURE LIFE』(1987)、『pH』(1990~93)、『S/N』(1994~95)に代表されるマルチメディア・パフォーマンスの確立と「ワーク・イン・プログレス(制作過程を作品化すること)」手法の採用および国際的な活動の展開期で、ダムタイプの実質的な求心力として機能した古橋悌二(ていじ)(1960―95)の死去によって区切られる。この時期には並行して国内外のアーティストやグループとのコラボレーションや個人活動も開始されている。そして1997年(平成9)以降の、『OR』(1997~99)、『memorandum』(1999~2003)、『Voyage』(2002~ )へと連なる高谷(たかたに)史郎(1963― 、アーティスティック・ディレクション、映像)と池田亮司(1966― 、音楽、音響)のコンビによる、光やデジタル音、映像による人間の知覚の限界へと挑戦する世界の確立。この時期ダムタイプはフランスのモーブージュ、クレテイユ(パリ近郊)などでの国際的なアーティスト・イン・レジデンスによる共同制作・発表方式を本格的に開始する。
数多くのプロジェクトのなかで、直接的なメッセージ性において突出した作品は、古橋が自らのHIV感染をパフォーマンス内でカム・アウト(公表)した『S/N』である。セクシュアリティやジェンダー、医療システムなど社会の様々な側面に存在する諸々の偏見に言及しながら、社会のみならず舞台における虚構と現実の問題に至るまでを問いかけたこの作品は、制作段階からさまざまな議論やアクティビズム(社会的運動)を派生させ、発表とともにセンセーションを巻き起こした。
しかし『S/N』にかぎらず、ダムタイプはこれまでのプロジェクトにおいてつねに社会と人間の新たな関係を追求しつづけてきた。そこで重要なのは各シーンの意味や語りよりも、むしろ設定された空間や情報のシステムとパフォーマーとの関係である。オートマティックかつ冷徹に稼動する機械・情報システム(たとえば『pH』における、観客が細長いパフォーマンス空間を周囲から見下ろし、2本のトラスがスキャニングするかのようにオートマティックに移動する巨大なコピー・マシンのような構造)から、90年代後半以降のストロボ光やデジタル・ベースの音や映像プロジェクションに代表される非物質性・高速性を全面におし出した空間に至るまで、精密にシステム化された空間―時間の高密度なマトリックス(基本構造)の中に投げ込まれた生の身体、という関係の重要性は一貫して変わっていない。変化しているのは、それらの間の関係性(齟齬(そご)、親和、共犯など)である。彼らの表現の根幹に関わるといっていいこの方向性は、日常的に入手可能なテクノロジーを創造的に転用する構想力に裏づけされている。
80年代なかば以降の社会・文化情勢、テクノロジー、メンバーの交替や大規模化するプロダクションなどのめまぐるしい変化に直面しつつ、その時々にダムタイプはアートおよび自らの表現可能性を見つめ直してきた。第一線で活躍しながら、つねに自らの形式化=境界から逃れつづける姿勢が、ダムタイプが「ダムタイプ」でありつづける原動力となっている。
[四方幸子]
『ダムタイプ編『メモランダム 古橋悌二』(2000・リトルモア)』▽『「Voyages:ヴォヤージュ」(カタログ。2002・NTT出版)』