日本大百科全書(ニッポニカ) 「チカノ」の意味・わかりやすい解説
チカノ
ちかの
Chicano
メキシコ系アメリカ人Mexican Americanの総称。1960~70年代に定着した用語。2000年の国勢調査によれば、チカノ人口は約920万人(同1980年調査では約875万人)で、アメリカ合衆国において人種的・民族的な差別と抑圧を受けている諸集団のなかでは、人口数で黒人に次ぐ集団である。メキシコ人そのものが、インディオ、スペイン植民者、アフリカ人(黒人)、および彼らの間の混血によって生まれたメスティソやムラートから成り立っているため、チカノも、スペイン語やカトリックなどスペインおよびメキシコの文化的伝統を継承・共有しているが、人種的には甚だ多様な人々から成り立っていることに注意せねばならない。チカノ人口は、合衆国の南西部、ことにカリフォルニア州(363.7万人=1980年調査)やテキサス州(275.2万人=1980年調査)に集中しているが、イリノイ州やミシガン州など工業化の進んだ中西部の諸州にも多数住んでおり、都市化・工業労働者化が著しく進行している。
[大塚秀之]
チカノの起源
アメリカ合衆国の南西部一帯、すなわちアリゾナ、カリフォルニア、コロラド、ニュー・メキシコ、テキサス、ネバダ、ユタの各州、およびカンザス、オクラホマ、ワイオミング諸州の一部からなる広大なこの地域は、1845年から54年にかけて、テキサス併合、メキシコ北部の征服と併合、ガズデン購入などを通じ、メキシコ領からアメリカ合衆国領へと編入・併合された。この結果、スペインから独立してまもないメキシコは、領土の北半分を喪失し、この地に住む約8万人と推定されるメキシコ人が、征服と併合によりアメリカ人化されたのであった。チカノは、この、征服されたメキシコ人民族集団と、「北方の巨人」アメリカ合衆国から引き続き強い政治・経済上の支配を被ってきたメキシコからの移民と、そして両者の子供たちとから成り立っている。
[大塚秀之]
チカノ人口の増大
チカノは、メキシコからの大量の移民によって、その人口を急激に増加させた。アメリカ合衆国は、20世紀に入ってからしだいに移民制限を強めていくが、西半球は制限から除外されたため、1920年代にはメキシコからの移民は50万人近くに達した。29年に始まる大恐慌期には、移民は抑制されたうえ、合衆国の市民権をもつメキシコ系住民の強制送還さえ行われたが、第二次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)以後、合衆国の労働力、とりわけ農業労働力不足を緩和するため、「ブラセロ計画」とよばれるメキシコ人労働者の導入が、アメリカ、メキシコ両国政府の協定により推進された。果実や野菜生産に特化した南西部の農業は、収穫期に大量の収穫労働者を必要としたうえ、第二次世界大戦中から始まる南西部の工業化が戦後も引き続き進行した(南西部の「サンベルト」化)ため、メキシコ人労働者に対する需要は増大し、60年代には450万人強、70年代には580万人強ものメキシコ人移民が入国した。また、正規の移民に加え、合衆国に密入国するメキシコ人も、膨大な数に上るとみられている。メキシコは、戦後の合衆国への移民の最大の供給源となり、これが、チカノ人口の急激な増加を引き起こしたのである。
[大塚秀之]