日本大百科全書(ニッポニカ) 「チュミ」の意味・わかりやすい解説
チュミ
ちゅみ
Bernard Tschumi
(1944― )
スイス生まれのアメリカの建築家。1969年にチューリヒ連邦工科大学を卒業した後、70年から79年まで、ロンドンのAAスクール(Architectural Association School)で教鞭をとった。その間、76年からはプリンストン大学とニューヨークのIAUS(建築都市研究所)でも教えた。80年から83年までのニューヨークのクーパー・ユニオン客員教授を経て、84年よりコロンビア大学建築都市計画保全学部長を務める。81年にベルナール・チュミ事務所を開設。
70年代までのチュミは教育と評論活動に加えて文学、映画、写真、広告といったメディアを自在に建築に取り込んだ「ジョイスの庭」(1977)、「マンハッタン・トランスクリプト」(1978)などの理論的かつ観念的な計画作品を発表し、同時代の建築家や芸術家に刺激を与えた。この間、チュミは、建築を「思考過程に起きた『一つの事件』」にすぎないと定義し、建築が空間とイベント(事件)と動きが組み合わされたものとして認識されるべきことを主張した。
チュミの、空間や形態自体よりそれらが誘発するイベントや「プログラム」を重視する建築観は、83年にパリのラ・ビレット公園国際コンペに優勝したことにより、一躍世界の注目を集めた。チュミにとって初の実施作品となったラ・ビレット公園(1989)は、敷地全体を均等に覆う120メートル間隔のグリッドの交差点上に、微妙に形の異なる真っ赤なフォリーと呼ばれる小建築群を点在させたもので、新しい都市を予見しようとする試みでもあった。
88年に、MoMA(ニューヨーク近代美術館)でのディコンストラクティビスト・アーキテクチャー展に出展したチュミは、その後しばらくの間、ディコンストラクティビズム(脱構築主義)の主要な論客とも目された。90年代以降は、ニューヨークとパリを拠点に、独自のプログラミング理論である「クロスプログラミング」「トランスプログラミング」「ディスプログラミング」を応用しつつ設計活動を展開する。そのほか、コロンビア大学における教育と精力的な評論活動を続けることにより、強い影響力をもつ。
主な作品としてほかに、ビデオ・ガラス・ボックス(1988)、ル・フレノワ国立現代芸術スタジオ(1997、トゥールコアン)、コンサート&エキシビション・ホール「ゼニス」(2001、ルーアン)などがある。
[秋元 馨]
『山形浩生訳『建築と断絶』(1996・鹿島出版会)』▽『Event-Cities (1994, MIT Press, Cambridge)』▽『Event-Cities 2 (2001, MIT Press, Cambridge)』▽『「バーナード・チュミ――1983-1993」(『a+u』1994年3月号別冊・エー・アンド・ユー)』▽『二川幸夫企画・編集・撮影『Bernard Tschumi』(1997・エーディーエー・エディタ・トーキョー)』