デアーク(その他表記)Deák Ferenc

改訂新版 世界大百科事典 「デアーク」の意味・わかりやすい解説

デアーク
Deák Ferenc
生没年:1803-76

ハンガリーの自由主義政治家。豊かな地主貴族の出。1833年から国会議員となり穏健な改革を目ざすが,40年代にはコッシュートに同調して急進的改革を主張。48年三月革命後のハンガリー初のバッチャーニュ内閣では法相を務めたが,やがてコッシュートと対立して,独立戦争期には郷里隠退。54年に政界へ戻り,対オーストリア消極的抵抗を掲げて政界を指導した。48年体制の回復を目ざす運動を積極化し,61年の皇帝請願書,65年の〈イースター論文〉などでオーストリアを動かし,アンドラーシと共に67年のオーストリアとのアウスグライヒAusgleich(妥協)を実現した。アウスグライヒ後,首相はアンドラーシに譲ったが,実際上政治を指導し,自由主義的体制の導入に努力。ハンガリーでは1950年代までに比べ,デアークの現実主義が高く評価されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デアーク」の意味・わかりやすい解説

デアーク
Deák Ferencz

[生]1803.10.17. シェイテル
[没]1876.1.28/29. ブダペスト
ハンガリーの政治家。中貴族の出身。 1833年から自由主義的な改革運動を指導。 48年革命では穏健派として三月法立案に参加し,バチャーニュ内閣の司法相をつとめた。独立戦争が勃発すると所領に隠退。オーストリア=ハンガリー帝国の成立 (1867) のための下交渉ではハンガリー側の代表として活躍し,亡命中のコシュートと対立した。官職につくことを避けたが,「国の賢者」として政界に絶大な権威を保持し,自由主義的な立法を推進した。

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