コシュート(その他表記)Kossuth Lajos

デジタル大辞泉 「コシュート」の意味・読み・例文・類語

コシュート(Kossuth)

コッシュート

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コシュート」の意味・わかりやすい解説

コシュート
Kossuth Lajos

[生]1802.9.19. スロバキア,モノク
[没]1894.3.20. トリノ
ハンガリー独立運動の指導者。下級貴族の出身。プロテスタント系の学校で法律を学び,弁護士の資格を得た。 1832~36年国会議員。反政府的言論活動により 37~40年入獄。釈放後もジャーナリストとして活動し,社会変革綱領を作成。その理論的・実践的貢献により,47年再び国会に選出され,野党の指導者となった。 48年のハンガリー独立戦争で最も重要な役割を果し,同年4月ハンガリー王国初代立憲政府 (首相バチャーニュ ) の蔵相に就任,9月国民防衛委員会議長となった。 49年4月ハンガリーの独立,共和制を宣言,執政官として名実ともに国政を指導したが,ロシアの介入によって形勢が不利となり,8月辞任。オスマン帝国に逃れたのち,51~52年イギリス,アメリカでハンガリー独立の宣伝活動を行い,ロンドン定住,マルクスらと交わった。 61年以降イタリアに住み,67年には特赦を受けたが,オーストリアとの「アウスグライヒ (和協) 」に反対して終生帰国しなかった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コシュート」の意味・わかりやすい解説

コシュート
こしゅーと
Kossúth Lajos
(1802―1894)

ハンガリーの革命家。1832年まで弁護士として地方で活動。1832~1834年の改革議会期間中『議会通信』を刊行して反政府改革派を支援。いったん投獄されるが、1841年の釈放後すぐにブルジョア諸権利と民族独立を訴える『ペシュト新報』を発刊。経済改革としては保護主義や上からの産業化を主張した。1848年のドイツ三月革命後、バッチャーニBatthyány Gusztáv(1803―1883)内閣財務相、ついで国防委員会議長を経て、1849年には新生ハンガリー共和国執政となり、革命を推進した。革命敗北後は亡命し、イギリス、アメリカを回り、独立戦争の士として歓待された。イタリアのトリノ在住後もドナウ連邦構想を打ち出すなど、故国独立のために奮闘し続けた。

[家田 修]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「コシュート」の解説

コシュート
Lajos Kossuth

1802~94

ハンガリーの政治家。小貴族の出。1830年代から身分制議会で封建制の改革やハプスブルク帝国内でのハンガリーの自立性を主張して台頭1848年の革命に際しては,帝国の立憲的変革を求め,ペシュトの民衆蜂起に呼応して,議会で急進的改革を主導。同年4月,ハンガリー内閣の初代蔵相となり,9月には反動化したオーストリアに対する国防委員会の議長となり,49年4月には独立を宣言したハンガリーの執政となった。同年8月,オーストリア軍に敗れて亡命,オスマン帝国,アメリカ,イギリスと渡って,61年にイタリアに移住。62年にはドナウ連邦構想を発表,アウスグライヒには反対した。トリノで客死。

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デジタル大辞泉プラス 「コシュート」の解説

コシュート

ハンガリーの作曲家バルトーク・ベラの管弦楽曲(1903)。原題《Kossuth》。オーストリアからの独立運動を指導した革命家コシュート・ラヨシュを称えて作曲された。

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