出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ハンガリーの革命家。1832年まで弁護士として地方で活動。1832~1834年の改革議会期間中『議会通信』を刊行して反政府改革派を支援。いったん投獄されるが、1841年の釈放後すぐにブルジョア諸権利と民族独立を訴える『ペシュト新報』を発刊。経済改革としては保護主義や上からの産業化を主張した。1848年のドイツ三月革命後、バッチャーニBatthyány Gusztáv(1803―1883)内閣財務相、ついで国防委員会議長を経て、1849年には新生ハンガリー共和国執政となり、革命を推進した。革命敗北後は亡命し、イギリス、アメリカを回り、独立戦争の士として歓待された。イタリアのトリノ在住後もドナウ連邦構想を打ち出すなど、故国独立のために奮闘し続けた。
[家田 修]
1802~94
ハンガリーの政治家。小貴族の出。1830年代から身分制議会で封建制の改革やハプスブルク帝国内でのハンガリーの自立性を主張して台頭。1848年の革命に際しては,帝国の立憲的変革を求め,ペシュトの民衆蜂起に呼応して,議会で急進的改革を主導。同年4月,ハンガリー内閣の初代蔵相となり,9月には反動化したオーストリアに対する国防委員会の議長となり,49年4月には独立を宣言したハンガリーの執政となった。同年8月,オーストリア軍に敗れて亡命,オスマン帝国,アメリカ,イギリスと渡って,61年にイタリアに移住。62年にはドナウ連邦構想を発表,アウスグライヒには反対した。トリノで客死。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新